伊賀の市街地の少し離れた場所にある「伊賀流忍者店」。
このお店で買った忍者グッズから「忍者への道」を登り始めた忍者も多いのではないでしょうか。
伊賀に構える伊賀流忍者店の店長は「真影」さん。 彼は伊賀流忍者サークル「伊賀之忍砦」の代表も勤めており、伊賀、そして忍者界になくてはならない存在です。
今回は真影さんにどんな想いでこのお店やサークルを運営しているのかをお伺いしてみました。 すべての忍者をJackするインタビュー第35弾のはじまりはじまり。
数十年前の伊賀には忍者はいなかった
店長いつもお世話になっております!店長はずっと伊賀にいらっしゃるのですか?!
真影: はい、伊賀生まれの伊賀育ちですね。6年ほど他の地域で住んでいましたが、基本的にずっとこの家です。この家は洋服屋をやっていて、昔は婦人服・紳士服・子供服などを扱っていたお店だったんですよ。
えー!ずっと忍者グッズ屋じゃなかったんですね!昔から伊賀は忍者忍者していらしたのでしょうか?
真影: 昔は市長だった奥瀬平七郎さんをはじめ、一部の方々が忍者の研究をしていたくらいで、昔は伊賀でもそこまで忍者を推していなかったですね。今でこそ近辺の商店街では忍者関連のメニューは多いですが、昔はあまりありませんでした。忍者うどんがあったのと、お酒やお菓子のネーミングに使われていたくらいです。
なので伊賀に住んでいても、忍者に触れる機会はほとんどありませんでした。小学校の宿題で俳句があって、半ば強制的に松尾芭蕉に触れることはありましたけどね(笑)
昔はそうだったんですか…え、でも忍者博物館もなかったのですか?
真影: 博物館という名前では無く忍者屋敷はありましたよ。でも当時は鬼の面が飾ってあったり忍者に特化したものというよりは、伊賀の博物館という感じで全部ごっちゃになっていた記憶があります。入場料はとっていたと思いますが裏から勝手に入れるので、少年の頃は遊び場にしていた気がします(笑)
忍者の盛り上がりがちょっとずつ出て来たのは15年前くらいからじゃないでしょうか。阿修羅が伊賀流忍者博物館でショーを始めたり、NINJAフェスタが始まってからだと思います。
なるほど!では店長は伊賀にいながらも、少年時代に忍者に親しむことはなかったのですね。
真影: 個人的に仮面の忍者赤影などは見ていましたが、周りで流行っていたのはウルトラマンやドカベンとかでしたかね。なので忍者にはあまり馴染みはありませんでした。
伊賀流忍者店は「にんじゃみせ」と読むのだ
こちらのお店、元は洋服屋だったとのことですが、創業はいつ頃なのでしょうか?
真影: 自分のひい爺さんの代が最初で、和傘を作ってたんです。その後自分の爺さんが早くに他界してしまい、お婆さんの代で洋服屋に転身しました。その後、親父やおかんの代を経て、自分の代で忍者グッズ店に変わって行きました。
和傘から洋服屋、そして忍者店…店長はもともと洋服屋を継いでいたんですか?
真影: そうですね、高校三年で家の洋服屋を継ぐことを決めました。小さい頃から親にずっとプレッシャーをかけられていて、それに負けました(笑)理系だったのでもし家業を継いでなければゲーム会社などに就職してたと思います。
大学を出てから、洋服店の商売を学ぶために大手の服飾小売店に就職しまして、2年半ほど広島で修行をしてきました。その後家に戻り、家の洋服店で働くようになります。
その後のお店はどんな歩みを始めたのでしょうか?
真影: 洋服屋としては10年、洋服と忍者を平行したのが7年、忍者店一本になったのが7年でしょうか。洋服屋は親父が経理、おかんが販売メインでやっていて、自分が両方手伝うという形でやっていました。
洋服屋もしばらくは順調でした。地元のお母さん方が対象だったのですが、おかんの人間関係も手伝って、地元の人も結構買って行ってくれてたんです。
ただ、山一証券が破綻した頃から景気の悪化が加速し、仕入先がだんだんと潰れだしたんです。うちのような小売店は仕入元がなくなるとやっていけませんから、将来に不安を抱え始めてきたんですよね。その辺りから自分は次のことを考え始めました。
新しいこと!忍者でしょうか!?(ワクワク)
真影: いえ、まだですね。最初は和柄のアロハシャツを取り扱い始めたんです。これはそこそこヒットしました。でもヒットしてくると大手が参入してきて、大量生産により価格が崩れてくるんですよ。もともと和柄アロハだけでは厳しかったですし…。そこで始めたのが忍者グッズですね。
な、なぜそこで忍者グッズを…?
真影: 和柄アロハを作っていた人、元々は京都のライターさんだったんです。彼がいろんな京都の伝統文化を取材している中で、友禅の技術を残そうとして始めたのが和柄アロハシャツだったんですね。
この人は京都に住んでいるから、失われつつあるその文化を残そうとした。それを自分に置き換えたら何だろうと考えました。
当時伊賀でも阿修羅がショーを始め、少しずつ忍者の機運が高まって来ていたのと、自分自身も真田広之さんが出ている忍者のアクション映画にはまったこともあり「忍者で行こう!」と思い立って始めたのが「伊賀流忍者店」です。あれが当時の伊賀流忍者店のロゴですね。
あ、和柄アロハも売ってたからか「忍者と和物の」って書いてある!これ読み方って「にんじゃてん」と「にんじゃみせ」どっちなのでしょうか?
真影 よく「にんじゃてん」と言われるのですが「にんじゃみせ」が正式名称です。当時子どもと一緒に忍風戦隊ハリケンジャーを見ていたのですが、武器の一つに「ニンジャミセン」というのがあったんですよ。それからとって「にんじゃみせ」にしました(笑)
まさかのハリケンジャー!ちなみにあのキャラクターは…?
真影 「半蔵くん」です。妻が書いた息子の似顔絵を改良して作ったものですね。この半蔵くんのイラストを元に何種類か商品を作り、当時はまだ主流じゃなかったネット販売に手を出してみました。
ネットチャネルを駆使し、忍者グッズ一本へ
真影: 対応が大変なので今は楽天店のみに絞っていますが、当時は楽天市場、Yahoo!ショッピング、ビッターズ、ヤフオクなどで売っていました。その後だんじり会館にも商品を置いてもらうようになりました。
最初はヤフオクのみでTシャツなど少しの商品を売っていたのですが、お客様から「忍者の服はないのか」とお問い合わせがあり、服を用意。するとまた別のお客様から「忍者の小道具が欲しい」と問い合わせが来るようになったんです。そこでもうお店の紳士服のコーナーをやめて、一角を忍者コーナーにしました。それが平成14年ごろでしょうか。忍者専門店になるきっかけだったと思います。
今は店舗とネット、卸売だとどれくらいの比率ですか?
真影: ネット6、卸売3、店舗1くらいでしょうか?
周りからは忍者グッズ店にすることで心配されたりしなかったのでしょうか?
真影 親からは言われていましたね…。おかんと嫁には婦人服を任せて、自分は忍者のみに没頭しました。そうこうしているうちに母親が病気になってしまいまして、婦人服を続けることが難しくなってしまったのです。
でもその頃には忍者グッズが軌道に乗って来ていて、競合もあまりいない状況でしたから、忍者グッズで十分やっていけると踏んで婦人服を閉じ、忍者一本で踏み出しました。
すごい思い切りです!売れ筋の商品はどの辺りでしょうか?
真影: 基本は子供の忍者衣装ですかね。ネットでも店舗でもお土産ものでも根強い人気です。数はもちろん手裏剣ですけど単価が低いので、金額的には忍者衣装になります。
でも好きだからできますが、好きじゃないとできないですね。お金のことだけ考えるなら、もっと他の商売やってますよ。
いやホント頭下がります…。そういえば忍び装束のモデル、たまに店長がいらっしゃいますよね…?忍者って検索すると出て来るやつw
真影 : 一番最初は自分一人でモデルもやってたのですが、やっぱりこれではダメだと思い(苦笑)モデルに着てもらった写真を今は使っています。あの写真は庭で撮ったやつなんですが、忍者本の表紙などに勝手に使われたりしてましたね。許可した覚えは全くないのですが(笑)
あのぎこちないポーズ好きです!笑 このお店の中で一番高い商品はどれでしょうか。
真影 : ダントツにこちらですね。20万円の忍者頭巾です。作った人から預かっていて店に置いているのですが、2つ預かっていて、だいぶ前に1つは売れましたよ。
高い…けど欲しい…!ちなみに外国の方に売れ筋の商品はありますか?
真影: 手裏剣とTシャツですね。ただ、外国人の方は本当は忍者刀が欲しいんです。でも空港で止められてしまうのでみんな諦めるんですよね。ただたまにダメ元で「持っていく!」と言って買っていく人もいますよ。コネある人なのかもしれないですが…。海外ではこれらの類は10倍くらいの値段で売られているみたいですね。
没収されてたらかわいそう…!
イベント情報を共有するために結成した「伊賀之忍砦」
伊賀流忍者サークル「伊賀之忍砦」も作られましたがあれはなぜ作ろうと思われたのでしょうか?
真影: ずっと前から作りたかったんですよね。忍者の店を開くと、研究者の先生をはじめ色んな方たちから「こんなイベントやりますよ」などいろんな忍者情報をもらうんですよ。でも店をやっている以上、行きたくても行けなくて…。
この情報を知ったら行きたいと思う人もいるでしょうし、それで参加者が増えればその事業自体も盛り上がるじゃないですか。そのような忍者情報を共有する会を作るべきだと思っていたんです。
行けるメンバーがいれば楽しんでもらえてたのに、ロスしてしまうのがもったいなくて。
最初は上野商工会議所青年部7人で立ち上げました。その後、店にポスターを貼っていたら全国の忍者ファンの人たちが来てくれて、徐々にメンバーや集まりが増えて行きました。
とても貴重な会ですよね!ちなみに今は何名くらいですか?
真影 : 70名くらいです。基本的なスタンスは今も昔も変わっていなくて、何かイベントがあったときにお互いに声をかけてそこに行ける人が参加する、という流れですね。出張営業みたいのもたまにありますが、いける人が行ってくれればと思って運営しています。
伊賀のメンバーが1/3くらいで、それ以外は全国に散らばっていますから、地域を超えて交流ができる場を作れたのは良かったです。
このサークルもお店も、好きじゃなければできないと思うのですが、店長をそこまで突き動かすものは何なのでしょうか。
真影: ここまでずっと忍者やっていると、もう当たり前になってきてしまいましてね。日常の一部になってしまったので、もはや意識していないので「なんで?」と聞かれると難しいです(笑)忍者って深く考えなくなったかもしれません。
でも最近は「忍者」と「忍び」を別物だと考えるようにしています。忍びは昔の実像、忍者はエンターテイメント。忍者の本筋には忍びがあるものの、国によっては忍術=護身術だったりしますけど、エンタメとしては面白い。今後、どんな忍者像がどこで生まれるのかが楽しみで、忍者に携わっているとそんな面白さがありますね。
忍者界を長く見ていてここは課題だな、と思う部分などはありますか?
真影: 忍者は謎が多いので、いろんな説があるじゃないですか。そのため各人の忍者や忍びに対する思いや認識がみんな違うんですが、そうなるとたまに言い争いが起こるんですよね(笑)説は説として大事な事ですが、仲良くやればええやんって思いますね。
歴史なんて勝てば官軍で、勝者が都合良いように書き直していることが多いはずで、いろんな説があっていいと思うんです。「忍者」と「忍び」も別物として考えていき、双方に発展してゆければよいのかなと感じています。
真影にとっての忍者
店長の今後の展望などがあれば教えてください。
真影: このままだと数年後には伊賀が忍びの里であるという事が忘れ去られるのでは無いのだろうか?と心配しています。忍びの国では伊賀にスポットがあたっていますが、少し昔の映画やアニメでは必ずと言っていいほど伊賀もしくは甲賀が出ていましたよね。
でも今はNARUTOなどのアニメを見ても、あまり出てこなくなりました。100年も経ったら、忍者=伊賀・甲賀というのが世間の認識では無くなっているような気がします。「忍者といえば木の葉の里…って何処にあるんだっけ?」なんて会話がなされるのでは……と。今でも忍者に詳しくない人は猿飛佐助は実在の人物だと思ってますしね。
そのためには、歴史的なものをしっかり残していかないとならないのだと思います。先ほど言ったみたいな論争が始まったら先に進まないので、手を取り合って研究なども進めていけると良いですよね。
しっかりと伊賀が忍者の里であることをアピールし続けていかないと消えてしまいます。本物の忍びの存在が、忍者のルーツがこの伊賀にあったということを、各地で訴えて行きたいと思います。
伊賀が忍びの里たる所以って、まさにそこですもんね。もう少し史跡などを全面に出していくといいかなと思っていました。さて、店長にとって忍者とは何でしょうか?
真影: 今の自分にとっては生活の一部になりましたが、伊賀に生まれて伊賀に育った人間として、残して伝えていかねばならないものだと思っています。
最後に読者にひとことお願いします!
真影: 忍者が好きな人は、仲良く、楽しく活動していきましょう!各地に赴くこともあると思いますので、その際はよろしくお願いいたします!
編集後記
伊賀に生まれ、伊賀に育ったからこそ、忍者が身体に染みついている真影店長。
忍者グッズだけでなく、伊賀、そして忍者界の中心的な人物として活躍する店長の想いをしかと聞くことができました。
試行錯誤の末にたどり着いた忍者店は非常にいい品揃えで、お店に行けば何か欲しいものが絶対見つかります。
伊賀に行った際は立ち寄っていただき、しばらくいかない人はネットで購入してみましょう!
ちなみにNinjack編集忍のオススメは、鎖帷子風メッシュシャツです!
世界各地で活躍する諸将の皆様へ、Ninjack.jpを通じて各地の忍者情報を密告する編集忍者。忍者に関することであれば何でも取材に馳せ参じ、すべての忍者をJackすべく忍んでいる。