佐賀忍者を伊賀・甲賀に並ぶ忍者へ ー肥前夢街道 葉隠忍者 頭目「剣源蔵」ー|Nin-terview #021(1/2)

佐賀県嬉野市に位置する忍者村である「肥前夢街道」。

ここには葉隠忍者と称した忍びの一族たちが、日々お客様をおもてなししたり、精力的に忍者活動をしています。

今回は佐賀の葉隠忍者の頭目であり、九州忍者保存協会の会長、さらには空中りんご斬りの元ギネス記録ホルダーの剣源蔵氏にNin-terviewをして参りました!

肥前夢街道での活動や空中りんご斬りギネス記録達成の裏側などを余すことなく聞いて参りましたのでお楽しみください! 特に空中りんご斬りのギネス記録達成の経緯は大変興味深いです(笑)

新聞社社員から忍者の道へ

頭目、このような機会をいただけまして光栄です!まず忍者になる前のことについてお聞きしたいのですが、どのようなことをされていらっしゃったのでしょうか。

剣源蔵: 20歳から36歳になるまでは新聞社の正社員として仕事をしてましてね。仕事を辞めて10ヶ月くらい肥前夢街道に入ったんです。でも夢街道を10ヶ月で辞めてしまって、次は一人で新聞の販売店の仕事をしたのですが、これがなかなかきつくて。それでまた夢街道に入り、37歳くらいから今までずっと夢街道の忍者として働いています。

おぉ、なぜ夢街道で働こうと思ったのでしょうか?

剣源蔵: 新聞社を辞めて職を探すもなかなか仕事が見つからなかったんですよね。その時たまたま夢街道のCMが流れてまして。それを見て「そうだ、忍者になろう」と思い立ったんです。ほんとそれだけですね。

そんな京都行くみたいな感じで忍者になろうだなんて…笑

剣源蔵: こんなに忍者がきついとは思ってもいなかったですがね(笑)。職安などに行っても求人票がなく、嬉野の図書館に行ったら求人票があったんです。ファックスで職業安定所に履歴書を送って、そこから電話で繋いでもらったのですが、当時の夢街道からは「今、人取ってないんでお断りします」ってブツっと電話を切られそうになりました。「ちょっとちょっと!」と、とにかく面接だけでもさせてほしいと食い下がり、面接したら当時の支配人に採用してもらえたんですよね。

危なかったですね…面接の時は何をアピールされたんですか?

剣源蔵: 35歳ごろまで地元の消防団に入ってたので、「他の人より体力だけは自信あります!」と、アピールできるのはもうそれくらいのものでした。入ったはいいものの、今までサービス業なんてやったことはありませんでしたから「いらっしゃいませ」も言えない状況だったんです。忍者の格好をしてるんですけど、恥ずかしくてずっと隠れていましたね(笑)。体力はあれど、刀も握れない、忍者服も一人できれない、忍者ショーの分厚い台本も覚えられない、挨拶もできないという有様だったので、あの時の自分は何しに来た奴なんだろうという感じが満々でした。それで音響や照明などの裏方の仕事に回りまして、ほとんど前に出ることもなく仕事をこなしていたのが半年ほど続きましたね。しかし、その頃にとある事情で他の忍者達がほとんど辞めてしまったんです。

夢街道の忍者隊がピンチですね…

剣源蔵: そのおかげで一時期忍者屋敷はずっと停止していました。ですが私が社長に直談判しまして「2人でできる忍者ショーを作るので、忍者屋敷をまたやらせてほしい」とお願いしたんです。それまでは役者5人と裏方がいないとできないショーだったのですが、それを2人に組み替えることを提案しました。社長も「やれるものならやってみなさい」とOKをくれました。立ち回りもできない、セリフも喋れないわけですから、とにかく屋敷のからくりを活用して、巻物を奪い合う簡単なショーにし、お客様も参加できるような宝探しも取り入れてスタートしてみました。最初はグダグダでしたけどね(笑)。15年ほど前に編み出した構成を今の忍者ショーでも続けています。

あのすっごく面白かったショーは15年も前にそうやって生まれたんですね!ちなみに剣源蔵という名前はいつ頃からあったのですか?

剣源蔵: 剣源蔵という名前は10年前くらいから持っていましたが、そんなに外に出すようなキャラクター名としては使っておりませんでした。2008年頃までこの夢街道は「江戸村」がコンセプトの時代村だったんですね。その時に一番ウケがよかったのが忍者だったのです。福岡にも忍者村はあったのですがなくなってしまったので、コンセプトが切り替わり「忍者村」になりました。今もやっている「忍者アカデミー」を開こうとしたときに子供達を指導する頭目が必要になるということで、剣源蔵は忍者の頭目ということにしたんです。

おーなるほど!装束のスタイルや目元の化粧などもその頃に確立したのでしょうか?

剣源蔵: そうですね。それまでは誰もやっていなかったのですが、覆面や額当てなどはこれで統一するようにし、今は化粧なども夢街道の他の忍び達にこれでやるよう指導しています。

忍者だけじゃない 全員が夢街道の住人

夢街道を盛り上げるために日々気をつけていることなどはありますか?

剣源蔵: やっぱりお客様が求めるのは忍者じゃないですか。忍者に会いに来たり、忍者に触れ合ったり、忍者の技とか術を体験したいからここに来ているわけです。ですが「忍者が一番じゃない」ことを夢街道のみんなには伝えています。どうしても忍者ショーがメインになりはしますが、お食事処があったり、大道芸人がいたりして初めて「肥前夢街道」が成り立っているんです。みんなで夢街道を盛り上げていこう、というのが私の考えですね。

もう1つ根本にあるのはお客様に絶対怪我をさせないことです。忍者たちはショーもあるのでたまに怪我もしますけど、お客様の中には妊婦さんや車椅子の方もいらっしゃいます。手裏剣なども間違った使い方をすると危ないですから、お客様に楽しく帰ってもらうためには、怪我は重点的に気をつけるように細心の注意を払っていますね。

お客様の実際の反応からお客様が喜んでくださってるのはどういった点ですか?

剣源蔵: 子ども以上に親が楽しんでる風景をよく見るのですが、それを見ると嬉しいですね。手裏剣、吹き矢、鉄砲などは子どもそっちのけで親の方が楽しんでくれています。

あとは肥前夢街道は圧倒的に客数が少ないので、お客様と忍者の密着度が違います。うちに来て、まず忍者と話さないことはないですから。夢街道はコアなファンが多いのですが、お客様1人1人にかけられるサービスの時間の長さというのもお客様に喜んでいただけている要因の1つではないでしょうか。忍者ショーのレベルで言ったら他の忍者村や時代村とは比べ物にならないとは思うのですが、グリーティングに関しては他のどこよりも熱心にできている部分だと思っています。ここは絶対怠らずに引き続き行っていきたいですね。

私も忍者さん達とのトークをかなり楽しませていただきました!お客さんには夢街道に来てどんなものを持ち帰って欲しいなどの思いはありますか?

剣源蔵: お子様でしたら「また忍者に会いに来ようね」と言ってもらうこと、親だったら「自分たちも楽しめたね」と思ってもらうことが目標ですね。前に忍者アカデミーを受講した親御さんからお手紙をいただいたことがありました。その親御さんは子どもへの接し方として、叱っていいものかそうでないのかを悩んでいたらしいのです。忍者アカデミーでは手裏剣の投げ方だけではなく、けじめのつけ方、あいさつの大切さ、感謝の気持ちを持つことなどを教えたりもしています。そんな忍者アカデミーの内容を見て「子どもへの接し方がわかった」とお礼の内容が書かれていました。教えていることがちゃんと伝わっていたので、それは大変嬉しかったですね。

素敵な活動ですね。忍者アカデミーを受けて感銘を受けた子どもなどはいるのでしょうか?

剣源蔵: 忍者アカデミーは1回3,000円くらいするんですよ。なのにもう20回弱も来ている子もいます。基本的にやることは毎回同じなのですが、それでも何度も足を運んでくれる方がいらっしゃるんです。そういう子達には、私と同じ装束の子どもバージョンを着せてあげたり、上級の生徒が初級の子供達に教えてあげられるようにして、より目立つようにしてあげたり、理解を深められるようにしたりの工夫を凝らしています。将来「忍者になりたい!」という子も多いですね。お母さんが忍者衣装を作って着せたりもするので、忍者アカデミーは大変盛り上がっています。

ドッキリ企画でギネス記録を破った空中りんご斬り

頭目といえばやはり空中りんご斬りだと思うのですが、そもそもなんで空中でりんごを斬ろうと思ったのでしょうか?

剣源蔵: 今の社長と専務が考えた企画に乗った、いや、乗らされただけですね。先ほど忍者村にテーマを絞った話はしましたが、そのときに施設がもう30年近く前のものなので、施設ではなく人で売ろうと考えたみたいなんです。頭目のキャラクターを立てるためには日本一とか世界一の忍者という称号が必要で、一番わかりやすいのがギネス記録だと考えたんでしょう。ギネスの中から忍者っぽいものを探して「空中りんご斬り」なんてものを見つけてきて、ちょうど9月の頭くらいに

今年のシルバーウィークは
頭目が空中りんご斬りでギネスに挑戦!

なんていうプレスリリースを出してしまったんですよ。その後に私に連絡が来て「空中りんご斬りお願いします」って言ってきて。普通に考えておかしいでしょ(笑) 今までやったこともないのに聞いた時にはすでにテレビの取材が決まってたんですよ。「りんごくらい切れる切れる」って簡単にOKしちゃったんですが、詳細聞いて見ると1分間でって言うじゃないですか。こら無理だわ、と思いました。

観念して試しにやってみたら最初に斬れたのは18個。最初はギネス記録は23個だと聞いてたので、「あと数週間練習して21個くらい切れればテレビ的にはいいんじゃないの」という話だったんですよね。福岡のローカル番組で生放送ということになり、ギネス認定員は呼ばなかったんですが申請だけしたらギネスのガイドラインが送られてきました。それを見たら、なんと世界記録はすでに27個だったんですよ。「え、うそやん!」てなりましたね。その運命の第1回は当然失敗して恥をかかされました(笑)

ものすごい無茶振りですね…ww あのギネス認定員って呼ぶのにお金かかるんですよね…?

剣源蔵: 全部で4回ギネス記録には挑戦しましたが、テレビの取材でテレビ局が呼んだり、補助金で負担してもらいましたね。しかし27時間テレビの生放送でやった1回のみしか記録を破ることはできませんでした。

いや、でもあの27時間テレビの生放送で成功するってほんとすごかったですよね!

剣源蔵: あれもですね、私ギネスに挑戦するなんて聞いてなかったんですよ…おかしいでしょ(笑)

え…?満を持して挑戦!って感じでしたけど…

剣源蔵: もともとその年の27時間テレビのテーマが「団結」か何かだったみたいなんですよね。ちょうどその頃私たちが九州忍者保存協会を作った頃だったので、それを知ったテレビ局の方から「九州の忍者が団結して何か面白いことないですか?」と専務に問い合わせがあったみたいなんです。その時に空中りんご斬りをやってることを伝えたら、テレビ局もおもしろいってことになり、打ち合わせをしました。その時出されたのはA4の紙1枚。中継は1分くらいでりんごを1〜2個切って挑戦の紹介をするくらいという話で、打ち合わせは5分で終わったんですよね。でもそれがどうやらドッキリだったみたいで…。

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