甲賀忍者も参戦!?「伊賀惣国一揆」の掟を徹底解剖!

伊賀惣国一揆の掟は実際にあった!

映画「忍びの国」の冒頭シーン。

百地三太夫と下山甲斐の小競り合いが行われている最中に、どこからか鐘が鳴り、両忍者一族同士の戦いは途中で中止になりました。

なにあの鐘?なんで途中でやめちゃうの?

そして織田の軍勢が攻めてくることから、十二評定衆が下忍たちに「伊賀を守るために戦え!そう掟で決まったであろう!」と声高々に言い放っていたシーン。

掟…?その掟って物語に都合がよいように作られた創作じゃないの?

と思っているあなた。

実はあるんですよ。伊賀の者たちが軍事同盟を結んだ際に固く誓い合った掟書が!

その掟書は「伊賀惣国一揆掟書」といい、全11条からなる伊賀の忍び衆たちが絶対に守らなければいけないルール集

前回の記事にて伊賀惣国一揆については説明しましたが、今回はその掟書の内容について徹底解剖したいと思います!

そもそも「惣」ってなぁに?

「惣国」という言葉が出て来ますが、この「惣」とは一体なんなのでしょうか?

「惣」というのはいわゆるその土地の民衆が共同で行う自治組織のことを言います。戦国時代は大名がいてその人達が政治を行ったり、他国の侵略から守ってくれるかわりに年貢を納めるような地域がほとんど。ですが伊賀はずーっと名ばかりの領主で守ってくれないので、自分たちのことは自分たちで決めなくてはならないし、自分たちの身は自分たちで守るしかありませんでした。

民衆たちが自分たちで軍事組織を作ることを「一揆」とするならば、「惣」は政治的な共同組織を運営することをいいます。そして伊賀の惣の運営は、各里の代表である12名が合議をして物事の決定を行なっていました。

これらの者を伊賀「十二評定衆」といい、忍びの国でも出て来たおどろおどろしいおじさん達がまさにこの十二評定衆なわけですね。そして彼らが合議して血判し作り上げたのが、この伊賀惣国一揆掟書なのです。

掟書の内容を徹底解剖!

それでは早速その中身を見ていきましょう!

一、敵が侵入して来たら助け合って防ごう!

第1条には、他国が伊賀に攻め入った時は、「一味同心」になってこれを防ぐことが定められています。

忍びの国でいうと、百地三太夫が下忍たちに言い放った「金はなくても戦え!」という趣旨のセリフは、まさにこの条項に基づくものだったわけですね。

金がもらえなくても、この法律がある限りは、織田信雄が攻めて来た以上ちゃんと戦わなきゃいけないのです。

一、鐘が鳴ったら武器と兵糧持って参陣して!

忍者達が警備をしていて、国境付近から緊急事態の報が知らされたら、各里で鐘の音を鳴らすこと。そして、兵糧と弓矢、盾などを持って城の入り口付近に陣を敷くことと定められています。

冒頭のシーンで鐘が鳴ったのは、この掟の第2条に基づく描写でした。どんなに小競り合いの途中だろうが、外敵の侵入を食い止めるのを優先することがルールだったのですね。

一、若い男は戦え!老坊主は祈っといて!

そして上は50歳〜下は17歳までの男は出陣する義務があり、長い戦いになる場合はチームを編成して交代すること。それぞれの陣で武者大将を指定して、惣はその命令に従うことと書かれています。

映画でも、馬野口・阿波口・伊勢地口のそれぞれの陣で、百地三太夫・下山甲斐・音羽半六が陣頭指揮を取ってましたね!

彼らが武者大将だったのでしょう。

そして、さらに各お寺の若い僧侶は参陣、老僧は伊賀の豊穣を祈るように、と書いてありました。祈るのもルールにするくらい、やはり祈祷は相当に信じられていたのでしょう。

一、里の民達にも起請文を書かせておいて!

十二評定衆は、それぞれの里において全員に起請文を書かせることが義務付けられていました。つまり「自分が代表する里はちゃんとまとめとけよ!」って意味ですね。

一、忠節あるものは百姓でも侍に昇格するよ!

伊賀の国は決して忍者だけじゃなくて、農業しかやっていない百姓の者もたくさんいました。

そんな農業のみに従事する者でも忠誠を誓って戦働をすれば、侍身分に取り立てる出世コースまでもが約束されていたのです。特に「城取(敵の城を落とすこと)」が一番功績が高そうです。

一、裏切ったら所領没収して処刑します…

忍者の作品でよく出てくる「里を抜けた者は絶対許さない…どこまでも追って殺される」みたいなイメージがあると思います。おそらくあの厳しい掟の元ネタはこの条項かもしれませんね。

伊賀惣国一揆掟書には、他国勢を引き入れたり、内通したりした者は討伐すること、それと合わせて自分の所領も没収されることが書かれています。

一、三好家には絶対行くなよ!行くなよ!

この掟書、各里の決まりごとがよく紹介されますが、以外と出てこないのがこの記述で、「伊賀の侍も足軽も、絶対に三好方には奉公に出てはいけない」と記されています。

この頃、織田信長がまだ浅井・朝倉と対峙していた時に、伊賀の近くで暴れていたのは三好三人衆や松永久秀などであり、伊賀の人々はまさに三好家に対して脅威を覚えたのでしょう。

「今、伊賀の敵は三好だ!」というのが明確ですね。

三好三兄弟や松永久秀などについて詳しく学びたい人は、「信長の忍び」を見てね!楽しく歴史が学べます!

一、陣内で味方には乱暴するんじゃないぞ!

陣に着いたら、仲間割れをせずに味方同士で乱暴は働かないようにバシッと釘を刺されています。

こんなこと書かなくても、普通だったら仲良くやると思いますが、やっぱり伊賀者はほっとくと乱暴狼藉を働くならず者だったのでしょうか…?それゆえにあえてルールにすることで、罰などを与えやすくしたのかもしれませんね。

一、大和の大将級の浪人は絶対に許すな!

そしてそして、これも結構面白い記述です。

「最近、大和(今の奈良)が伊賀に対して不義なことをいっぱいしてくるから、大和の大将や浪人たちを許すな」と記載されています。一体何があったのでしょうか…!?

この掟に従って命を狙われた奈良の侍さんたちは果たしてどうなってしまったのでしょうか…。

一、甲賀とも協力して事にあたろう!

最後に紹介するのは、みなさんの思い描くイメージとは違う記述があります。

「伊賀の方はこれでつつがなく整ったところ、甲賀と力を合わせようかと思うので、近々伊賀と甲賀の境目の地で甲賀と寄合をする」という内容で掟は閉められているのです。

伊賀と甲賀は犬猿の仲だと思われがちですが、このような緊急事態においては、お互いに協力体制をしようと考えていたみたいですね。実は伊賀と甲賀間でも婚姻関係があったりして、仲良くやっていた時期もあるようです。

というわけで伊賀惣国一揆の掟書を一通り見て参りました。伊賀の代表となった十二評定衆は、結構ちゃんと軍事的な共同体制をしっかり構築しようとしていたことが窺い知れますね。そしてその内容には、大和の嫌がらせや三好家の脅威などに屈することなく、自分たちだけで立ち向かおうとした反骨の精神が垣間見れます。

掟書から見えてきた、権力におもねらず、自分の身を自分で守る伊賀忍者の心意気。忍者に憧れるみなさんも、どこかで鐘が鳴ったら集まって戦の準備をしましょう!笑

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