忍ぶことで日本人が大切にすべきものが見えてくる 〜四季の森武道塾・塾長「大和柔兵衛」〜|Nin-terview #034

四季の森武道塾塾長「大和柔兵衛」さん。

柔兵衛先生は、普段は日本でも珍しいお子様忍者を育てる忍者道場を開いて生活していらっしゃいます。

道場に通う生徒さんは約100名。

未来の忍者を育てる柔兵衛先生の忍道や、そこに至った経緯、そして手裏剣大会のときのお気持ちもお伺いしてみました。

すべての忍者をJackするインタビュー「Nin-terview」第35弾をお楽しみください。

祖先は飛鳥時代の忍びだった

柔兵衛先生、先日はおめでとうございました!柔兵衛先生のお子さんの頃ってどんな感じだったのですか?

大和柔兵衛: 子供の頃は「風のフジ丸」や「仮面の忍者赤影」、「サスケ」に「カムイ外伝」など忍者漫画が大好きでした。周りには山しかなかったので、遊びもほとんど忍者です。弓を作って山で放ったり、木に登ったり、落とし穴を作ったり、山の中を駆け回っていましたね。その後学生時代にブルースリーに憧れて、近くの道場で少林寺拳法を習っていました。

山の中で忍者遊びとか楽しそう!その頃からの先生の忍者像ってどんなものだったのでしょうか。

大和柔兵衛: 私が思う忍者像は、自立して生きる人間という感じでしょうか。どんなに強い権力にも決しておもねらない。そうやって生きるために自分を守るための技術が、忍術なのではないかと思っています。

カムイとかそんな感じですもんね。先生のご出身はどちらだったのでしょうか?

大和柔兵衛: 出身は神奈川の大和市です。私の先祖が大和屋柔兵衛というものだったのですが、今の名前はそこからいただいています。私の本名は「池辺」というのですが、奈良の大和発祥の家系で飛鳥時代から続く古い家柄のようです。渡来系の「東漢(あや)」氏の流れで、鉄鋼や建築、軍事面で天皇家をサポートしてきた一族でした。一族には蘇我馬子に仕えた忍び東漢直駒(やまとのあたいこま)や征夷大将軍の坂上田村麻呂がいたようです。その後時代を経て、4代前までは廻船問屋をやっていたようですね。

飛鳥時代の忍者・大伴細人と仕事してたかもしれないですね…!先生が納めた武術や、普段のお仕事について教えてください!

大和柔兵衛: 9歳から柔道を始め、少林寺拳法、テコンドー、合気柔術、居合道、杖道、古流剣術、手裏剣術、修験武道、四半的弓道を修練してきました。特に古流剣術が好きで、私の武術のベースになっているのは鹿島神傳直心影流ですね。社会人の際は営業の仕事などをしながら稽古をしていたのですが、30代の頃は武術で得た知識や技術を活かして整体の仕事をしていました。今は四季の森武道塾が主流となっています。

道場がメインなんですね…!ちなみにお子さんが4姉妹とお伺いしましたが、娘さんたちもみんな忍者なのでしょうか。

大和柔兵衛: 武道をやっている家なので、娘たちは高校を出るまでは全員武術は必須でやっています。それぞれ好みがあって道がありますが、次女だけは一緒に忍者をやってくれていますね。長女は剣術が好きですが、忍者をやっていることに応援もしてくれていますし、三女は日本庭園などの造園の仕事に就いています。小さい頃から日本文化が肌にしみているので、自然と日本文化に近い道を選んでいるようですね。

次女は美月ちゃんですね!一番下の子が忍者の道選ぶかが気になります!

忍術を通して「和」の精神を実感してもらう

先生はなぜ道場を開こうと思われたのでしょうか。

大和柔兵衛: 30代で人生に悩んでいたときに、たまたまお会いした天台宗のお坊さんに「靖国神社に行ったほうがいい」と勧められ、参拝したんです。ここに眠る人々は日本のために散って行った英雄なわけですが、その人の前で「自分の生き方はこれでいいのか」と自問自答しました。彼らが命を賭けて戦い、願った日本の姿は今の日本なんだろうか、と。日本人として自分に何ができるかと考えた時に、私のできることは武術。武術で学んだ日本人にとって大切なことを若い人達に伝えていこうと思い立ち、道場を開きました。43歳の頃だったでしょうか。最初は体育館を借りて始めましたが、3年が経って生徒さんが40人を超えてきてから場所が必要となり、道場を持ちました。

日本人にとって大切なこと…。具体的にどのようなことを教えているのですか?

大和柔兵衛: 精神的な面では、「和」の精神を教えています。その精神に至るまでのアプローチとしては忍術と合気道の2つを用意していますが、忍術を通して和の尊さを実感していただけるように日々心がけています。忍術は試合があるわけではないので、自然と調和したり、人や物とのつながりを意識することの大事さを伝えています。手裏剣術一つ取っても日本の古流の精神を伝えられるのです。例えば、アーチェリーと弓道では精神性が全く違います。アーチェリーでは的を狙いますが、弓道では的と自分は1つであり、1つになったときに当たると考えるのです。武術の場合は頭や言葉じゃなくて「実感」することが大事。古流武術なので昔の人が感じてたことを体験することこそが肝要です。その精神から、日本を大事にすることに繋がっていければと思っております。

すごく崇高な感じですね…!カリキュラム的にはどんなことをされているのですか?

大和柔兵衛: 子供には体術でいうと受け身、バク転などを教えています。子供は好奇心が旺盛なので体を使ったり、武器にもたくさん触れてもらえるようにしています。手裏剣、弓、吹き矢、木立、相撲、木登り、石の上を飛ぶ、崖を登るなど。これにより、興味の広い子供たちの全ての分野を伸ばすことができます。
大人に関しては合気術が中心で、感覚の稽古が重要となってきます。合気とは、自分と相手のつながりを感じること。相手と自分は1つに感じてもらう感覚を持つことで、日常生活での人間関係にもちょっとしたコツが掴めてきます。そうすることで生き方がものすごく楽になりますよ。

3歳から小学生以下の子が現在約50人。主婦の方が20人。そのほかに男性が中学生以上〜73歳までいます。レディースクラスが今一番活発ですね。

お稽古の様子も見てみたいです!ちなみにあの江戸隠密「武蔵一族」の一部としても活動していらっしゃいますよね…?

大和柔兵衛: 5年前に武蔵一族のあるメンバーが道場に稽古にいらっしゃいまして。それがきっかけで、柴田さんから連絡あって「忍者で国際親善をやっているのだが手伝ってくれないか」とお声がけいただいた形です。面白そうだったので入ることにしました。

柴田さんとは先祖の時代にも縁があったかもしれません。柴田さんのご先祖は、神戸開港などにも尽力された幕末の外国奉行で忍者を使っていましたが、私の先祖は、延岡藩のお殿様のお抱え廻船問屋で禄をもらっていました。延岡藩の当主は井伊直弼の実弟で、九州は幕府からも遠く、薩摩などは幕末にも不穏な動きをしていたわけですから、当時幕府にとって信用できる人間を入れ、情報収集を行っていたのでしょう。家にも薩摩との縁があったり、西郷さんからの礼状があり、廻船問屋としていろんなところから情報を集めていたのだと思います。柴田さんの先祖は大老に、私の先祖はその弟に仕えていたのだと思うと不思議な縁を感じますね。

確かにそうだとするとかなり胸アツですね…!

大和柔兵衛: あと、私の爺さんは大陸でスパイ活動をしていました。陸軍の特務機関の仕事をしており、ロシアに渡っていたようです。そしてさらにその前の4代前が柔兵衛さんというのですが、彼は覆面をつけて夜中に貧乏な家を探してお米と炭を置いていったと伝わっています。私はその柔兵衛爺さんが好きで、そこから名前をいただいています。

柔兵衛爺さん…!なかなかの義賊ですね!

手裏剣の的と自分が1本の線で繋がる

先日の手裏剣大会について教えてください。最初に出たのは2年前で、そこで優勝されたのですよね!

大和柔兵衛: 第6回の時は、弟子の佐助がずっと手裏剣が好きだったので彼を優勝させたくで一緒に出場しました。せっかく出るからには全力でやろう、と思ったら優勝という形になったのですが、伊賀上野観光協会の係長から「だいだい最初に出た人が優勝するんです。ビギナーズラックですね。」と言われたんです。悔しいじゃないですか!(笑)実際にこれまでも初出場の方が優勝するケースが多かったのですが、それなら「絶対にもう一度優勝しなければ!」という思いで臨みました。

確かにそれは悔しいですねw 予選が最高得点でしたので順番は最後でしたが、待っている時間はどうでしたか?

大和柔兵衛: 10時に始まって出番まで39人分待つのはなかなかつらいです(笑) なので外に出てましたね。直前で控え室にいるときも自分の中身に集中するようにしていました。

No.39のかげさんがその時点で的中点数最高得点でしたね。柔兵衛先生はどんな感覚で手裏剣打ちをされているのですか?

大和柔兵衛: 私は的と身体が一本の線で繋がっていることを確認してからじゃないと打ちません。実は目が悪く視力も0.3なので、的はぼんやりしか見ていないんですよ。だから的の点数などはほとんど見えていません。真ん中はなんとなくわかるのですが、メガネをかけると目で見ることに集中してしまいそれだけに頼ってしまうので、メガネはかけないようにしています。的の中心と自分を繋いでいくと、的が自分の中に見えるんですよ。そして的の中心を捕らえた点が見えるんです。その点を意識して打つ。そうすると目で狙っていなくてもちゃんと的にあたります。これが私の打ち方ですね。

えーーー!ほとんど的見えてないんですね!衝撃…

大和柔兵衛: あの時、どうやら膝が浮いてしまっていたようで1回目・2回目の投擲を外してしまいました。体制を直し、腰に集中させたところ、3打目は50点だったようですね。その後が20点だったので、70点だったんですよね。

最後に50点いければ大逆転!というシーンでしたがやはり緊張は…?

大和柔兵衛: いえ、的に当たっているのは見えているのですが、何点かまでは見えていなかったので「なんとなく当たったのかな」くらいしかわかりませんでした。なので点数も数えていません。ただただ一番いい状況で最後の一枚を打とうと思って集中していたら、観客のみなさんもすごく静かだったでしょう。客席の集中力が自分の中にバーっと入ってきまして、集中力が完全にシンクロしましたね。その時、自分の中に一点の星が見えてきたんです。すると的が「今だ!」と呼んだ気がして、そこに投げたら見事に真ん中に打ち込めたようでした。

なんかすごい領域に達されている…!確かに物凄いシンクロしてましたよね。会場の視線を全部持っていかれてましたよね。鳥肌ものでした!

大和柔兵衛: 私もそうでしたね。おそらく練習では無理で、あの場じゃないとできなかったと思います。自分的には本当に満足な投擲ができました。

手裏剣大会史上最高の一打だったと思っています!2度も日本一の手裏剣打ちとなった今、柔兵衛先生は手裏剣に対してどんな思いをお持ちですか?

大和柔兵衛: 手裏剣というのは忍者のアイテムですが実際に使っていなかったと言われるじゃないですか。おそらく手裏剣は稽古などで使えば使うほど「ああ、昔の忍者は武器としては使わなかったよな。」ってわかってきます。まだ棒手裏剣の方が使っただろうとわかります。ただ、手裏剣は今や忍者のシンボルですよね。忍者のシンボルで練習を続けることによって、忍者としての心と身体が手裏剣打ちの成果として現れてきます。決してスキルだけでなく、日々の修練や精神が如実に現れるのが、手裏剣打ちの素晴らしいところだと思います。その意味ではもっと手裏剣を広めたい。

今回2度目の優勝ができましたので、伊賀にも許可をもらい「伊賀流手裏剣術」を名乗ることができるようになりました。今後道場で「伊賀流手裏剣クラス」を年内に作りますので、関東から伊賀本戦へたくさんの選手を送り込みたいと思います。そして来年、私自身も、肩肘を貼らずに己を測る意味合いで出場致します。

うわー!まさか伊賀流手裏剣術を指南してくれる場所が現れるとは!みんな独学で思い思いにやっているので、ひとつの流派ができるのはなんとも画期的で面白そうです!ちなみに金の手裏剣2枚(1枚10万円相当)はもう売っちゃいましたか?

大和柔兵衛: 大事にしまってとってありますよ(笑)

大和柔兵衛にとっての忍者

先生の今後の展望を教えてください。

大和柔兵衛: 外国人は100%「忍者はいた」と言いますが、日本人はまだまだ「忍者って本当にいたんですか?」と聞かれることが多いです。やはり国内で忍者の文化とはどういうものかを理解してもらい、根付かせていきたいと思っています。その上で、外国でも忍者の文化を謝って理解している人もたくさんいると思いますので、正しい形を伝えていきたいですね。そして道場で教えている今の子供たちが10年・20年と経ったときに指導者になったり、結婚したときに子供に対して忍術を教えてくれたりしてもらえると楽しみですね。

子供の頃から忍者を教えているので成功しているのは先生のところだけだと思うので、そのような世界が来ることを大変期待しています。先生の忍者としての最終的なゴールはどこにあるのでしょうか?

大和柔兵衛: 忍者は陰陽でいうと「陰」の存在です。そして世界で見ると、「日本」もどちらかというと「陰」の存在ですよね。忍者の文化の中には日本の文化が凝縮されていると考えています。つまり、忍者の文化を伝えることで日本を伝えられる。様々な価値観があって対立しあう世の中ですが、和な世界を目指したいですよね。そういう世界でみんなが身も心も繋がっているということを感じられれば、もっと生き方が豊かになってくると思っています。そんな生き方をする日本人が多く住む日本が、世界にいいきっかけを与えていけるのではないでしょうか。そのための1つの窓口としての忍者になれたらいいですね。忍者の世界連合の窓口のようなものになって、忍者の精神、ひいては日本の精神を世界に浸透させていけるようにしたいです。

柔兵衛先生にとって忍者とはなんでしょうか。

大和柔兵衛: 日本人そのものだと思いますよ、忍者というのは。日本人の生き方が忍者です。お金稼ぎのためではなく、自己が極めていくこと。何事も修行としてとらえて、世の中に奉仕していくこと。しかしそれを誇らないこと。それだけで満足。そんな生き方が忍者であり、日本人なのではないでしょうか。

読者にひとことお願いいたいします!

大和柔兵衛: 忍者は忍びますが、忍ぶとはどういうことでしょうか。それは自分を消すことですね。最近は、自分をアピールすることが重要視されています。でもそうすると、結果として孤独感が増していきます。ひどい時は孤立していきます。そんな時は一度自分を消してみることで、初めて見えてくるものがあります。潜んでよく見ると、すべてが繋がっていることがわかるのです。いわゆる「和」が見えてきます。そんな生き方を感じていただければ楽に生きられますよ。

編集後記

おそらく忍者の世界では、若年層の本格忍者形成に一番成功している四季の森武道塾。

その塾長は、日本人としての誇りを強く持ちながら、日本人が生きやすい大切なことを身体と心の両側面から教えてくれるお方でした。

実際にそのおかげで日本一の手裏剣打ちになられていて、説得力も段違いですよね。

ぜひ子供の頃にこんな道場に通いたかったです。

そして史上初の手裏剣大会の攻略法を指南してくれる「伊賀流手裏剣クラス」も開催されるそう!

手裏剣大会がこれからどんどんレベルアップしそうな予感ですが、第10回でやめずに続けて欲しいですね!

関連記事

  1. TVアニメ「信長の忍び」アフレコ現場で重野なおき先生のインタビューしてきた!

  2. 地元三重の忍者文化を未来に引き継いでいきたい 〜元SKE48「竹内舞」〜

  3. 嬉野に来てからフケが止まった 〜肥前夢街道にいる謎の忍び「たじ丸」〜|Nin-terview #025

  4. ツヨカワ女子による新しいくノ一の形を楽しんで欲しい 〜舞台NINJA ZONE主演「宮原華音」〜

  5. 【Nin-terview #014】忍者になる夢が遂に叶った 〜徳川家康と服部半蔵忍者隊「狂言語りの水蓮」〜

  6. 佐賀忍者を伊賀・甲賀に並ぶ忍者へ ー肥前夢街道 葉隠忍者 頭目「剣源蔵」ー|Nin-terview #021(2/2)

  7. 影に生き、影に散ってこその忍者 〜アニメ信長の忍び・監督「大地丙太郎」〜|Nin-terview #30(1/2)

  8. 職人が打ち鍛えた道具や刃物の魅力を知って欲しい 〜四季の森武道塾・柔兵衛影武者「日向國鐡座」〜|Nin-terview #035

  9. 武将の配下ではなく個人として忍者をアピールする時代 〜甲賀忍者「黒影」〜|Nin-terview #032

  10. 忍者隊と共に名古屋を天下一の街へ 〜徳川家康と服部半蔵忍者隊「徳川家康」〜|Nin-terview #018

  11. 今の頭目を倒し、目指すは次期葉隠忍者の頭目 〜肥前夢街道 葉隠忍者「春斗」〜|Nin-terview #026

  12. 忍者の精神で多様性を認めあえる世界を 〜よしもと所属忍者タレント「一ノ瀬文香」〜|Nin-terview #029

SPONSER

EDITER NINJA

SPONSER