肥前夢街道を運営する会社の専務・河野進也さんへのNin-terview。
忍者村のコンセプト創設やプロモーションの妙技など、忍者村を経営していく秘訣についてお伺いしています。
また今後の地域との連携や将来的な目標についてもお伺いしました。
いつも斜め上の仕掛けでメディアにも取り上げられる手法の秘訣をとくと御覧ください!
経営危機を乗り切ったのは「忍者×B級路線」
ご無沙汰しております!まず基本的なことからなのですが、肥前夢街道というのは一言で言うと何なのでしょうか?
河野: それはもう忍者村ですね。
元々は前の経営者が江戸村として運営していたのですけれども、江戸時代というのは長くて定義が広すぎるのでターゲットが絞りきれなかったんですね。昔は施設が綺麗だったので、体験がなくても見て回るだけで大きな日本庭園を散歩するようなイメージでの楽しみ方ができたんです。
ですが施設が老朽化するとそれが成り立たなくなります。これは社長の考えなのですが、夢街道はキャラクターで売って行こうということになりまして、一番反応良かったのが忍者ショーでもありましたので、忍者の方へとシフトチェンジしていきました。
佐賀には忍者の歴史も明確なものは残っていなかったのですが、そこについては後から考えようということで、忍者村をコンセプトに再スタートさせたところ、施設の修繕などまだ課題は山積みではあるものの、忍者が当たって経営は上向きになり、今はだいぶ安定はしてきました。
もともとの経営は和多屋別荘さんだったのですよね?どのような経緯でマールさんが経営を引き継いだのでしょうか。
河野: 社長が全て行ったことなので偉そうなことは言えませんが、うちの社長が佐賀県出身なんですね。肥前夢街道が運営会社を探されてた際、佐賀県出身の経営者に声をかけていたようで、社長にも声がかかり、運営の委託を受けるようになりました。最終的には事業を買い取って欲しいという依頼を受けて、今は弊社で事業を行なっているという経緯です。引き継いでから業績が上向くまでは結構時間がかかりましたね。
忍者に絞ったことが成功要因だとは思いますが、それ以外にも様々な手を打たれたと推察します。特に決め手となった打ち手は何でしょうか?
河野: やはり1番は忍者村にシフトチェンジしたことだと思っていますが、戦略的には社長が打ち出した「忍者村をB級感で売り出す」という方針が当たったのではないでしょうか。実情としてお金はあまりかけられないというのもありましたが、逆に自分たちもB級感の方がやりやすかったですし。
社長は特に普通のことが嫌いで、とにかく変なことを考える人なんですね。ゆるキャラ狩りなんてそんなことやらせてくれる社長はいませんよ。とにかく悪ふざけの延長で面白いことをやろうというのが大方針で、B級路線こそが生き残れたキーワードかもしれませんね。
そうだったんですか!来るまでは結構本格的な忍者村だと思っていたんですが、着いた瞬間ワ◯ピースのパロディ看板があったので度肝を抜かされました(笑)村の中もツッコミたいところ満載で!
河野: ああいうのが好きなんですよね(笑) 普通アイデアは出ても怒られそうで言えないしできないじゃないですか。でも社長も「いいじゃんこれ、やりなよ」って攻めてくれるんですよ。B級感を出さざるをえなかったというのもありますが、あえて狙っているのが肥前夢街道のB級テーマパークなのです。
実際に運営をしている中で苦労されている点はありますか?
河野: 今でもそうなんですけど、人々の中には肥前夢街道の昔のイメージが残っちゃっているんです。今はファミリーターゲットなんですが、ファミリーでない方達は、前の綺麗な建物のイメージがあるので、がっかりされてしまうこともあります。ファミリーがターゲットであることをわかってもらうために、「元祖忍者村」を頭につけたりもしましたが、まだ浸透しきれていないところがありますね。
飲食業から忍者テーマパーク事業へ
河野さん個人についてお伺いしたいのですが、会社にはいつぐらいに入社されたのですか?またマールさんは元から企画会社だったのでしょうか?
河野: 私が入社したのは15年ほど前でしょうか。マールはもとは不動産と飲食店経営が主な事業でして、某大手ファーストフード店のフランチャイジーだったんですよ。社長が昔、その会社の店舗開発部部長だったこともありましてね。福岡の天神でファーストフード店を出していて、そこでたまたまバイトしていた私が契約社員になったのが入社のきっかけでした。
その後「佐賀でテーマパークをやるぞ」ということになり、私も本腰を入れようと佐賀まで引っ越して、今日までこの経営に携わっています。当時22歳頃だったと思います。
飲食FCから忍者村経営ってなかなかの展開ですね…。河野さん自身はその時から忍者について興味があったのでしょうか。
河野: 私自身はもう全く興味ありませんでしたね。仕事として忍者を扱うようになってから興味が湧いてきたクチです。自分でも色々調べたり、忍術の片鱗が残っているタイ捨流を残すために習ったりなどもし始めています。
今は専務取締役で経営側になられてたくさんの忍者を雇っていると思いますが、忍者を雇用するというのは何か特別な注意点などはあるのでしょうか。
河野: 悪い言い方になってたら申し訳ないのですが、会社員を雇うのとあまり変わりありませんね。逆に役者を採用するよりは社員として忍者になっていただいた方がお互いによいと思っています。雇用の維持という観点ではそうですが、新たに引き込むのは少し大変ですね。
入れ替わりが激しい印象を受けていたので、維持の方でもご苦労されているのかと思っていました。
河野: 忍者がやりたい人、例えばコスプレイヤーさんなどからすると楽しそうに見えるんですよね。ただ実際は社会保険も付いている会社員ですから、仕事は表向きのものだけじゃなく、裏方の仕事もあるんですよ。面接の時にもそのことは申し上げますが、想像と違ったということで辞めていく方もいらっしゃいますね。その辺りのギャップをいかに理解いただくかだと思っております。
捨て身で見つけた葉隠忍者の足跡
先ほど本物の忍者は後付けで、とおっしゃっていましたが、佐賀の一部を治めていた旧蓮池藩に田原という忍者がいたと突き止められましたよね。あれはどのような経緯だったのでしょうか。
河野: やはり全部が全部B級路線だと限界が来るので、お客さんにも地元の方にも本物の忍者がいたこと伝えて誇りに思ったり感激して欲しいと考えていました。いつまでも伊賀・甲賀の真似ばかりしていてもよくないので、うち独自の忍者として本物志向を取り入れたかったんですよ。
そこでニュースリリースを出して佐賀新聞に載せてもらったんですよね。「後付けでもいいので佐賀の忍者情報をください」と。
あの思い切った募集は当時衝撃でした…
河野: それがきっかけでいろんな情報提供もいただき、テレビからのオファーもあって、田原安左衛門の存在を掘り起こすことができました。根拠があるのとないのでは売り方も全然違ってきますので、その意味ではやりやすくなりました。あのさんまさんの番組のおかげですね。
スタジオ収録の時にリハーサルも見つからなかった流れで終わり、本番まで忍者がいたことを知らされていなかったんです。「忍者の歴史がないのに忍者村やっちゃダメでしょ」っていう面白ネタとして放送されるだけって聞いてたのですが、その後ちゃんと調べてくれていて、まさか記述が見つかるとは思いませんでした。なんで私たちがトリなのかは不思議に思いましたけどね。
秘訣は冗談を本当にやってしまうこと
話逸れるかもしれませんが、この思い切った募集といい、ゆるキャラ狩りといい、世間を巻き込むアイデアがすごいなっていつも思っているのですが、なにか秘訣があるのでしょうか?
河野: それもやはりベースとなっているのはB級路線ですね。社長が決めた方向性の指針がまずあって、そこから砕けたアイデアが出て来るんです。でないとあれだけ思い切ったことはできません。企画会議というのをやっているわけではなくて、冗談で話している中で「じゃあそれマジでやってみようか」という流れで決まることが多いですね。社長がそれをやってよしとGOサインを出すことが、他との差別化につながっているのだと思います。
みんな面白い案はあるはずなんです。それをやるか、やらないかだと思うんですよね。企画を考えることよりも、それを本当にやってしまう実行力が世の中を巻き込めている秘訣なんでしょうね。
そんな中で「湯けむり忍者隊葉隠一族」という忍者アイドルユニットにも挑戦されたと思いますが、あれはどんな狙いだったのでしょうか。
河野: ちょうど名古屋のおもてなし武将隊がフィーバーした頃に、忍者で同じようなことをしたいと便乗したんですよね。今は安定的な運営はできていませんが、話題にはなったかなと思います。費用対効果でいうと上々だったのではないかと。10人いた頃はそれぞれのメンバーにファンの方がついてくださっていましたしね。
今後の葉隠一族はどちらかというとファミリー向けですか?
河野: 湯けむり忍者隊の頃は外部への発信がメインだったのですが、今は内部を固める方針に切り替えています。肥前夢街道に来てもらって、満足度を高めてもらうことにフォーカスし、お客様に喜んでもらうための葉隠一族を目指したいですね。
夢街道をひととおり回らせていただいて、施設の工事などもされていましたよね。今後リニューアルなどもされるのでしょうか。
河野: やっと施設にも手入れができるような体制になってきたので、営業中に工事しているも申し訳ないのですが、もう少し綺麗に感じてもらえるようにしていきたいと思っています。
地域と連携し、佐賀を忍者の地へとしていきたい
地域との連携についてや、今後の展望などを教えてください!
河野: 最近になって町から「忍者のイベントをやってくれないか」と依頼が入るようになりました。町も忍者を活用してくれるようになってきたことに手応えを感じています。今は九州で忍者を見ようと思ったら夢街道に来ないと見られない。しかしこのような活動を増やしていって、夢街道に行かなくても、極端に言えば佐賀全体で忍者の街になっていけるようにしたいと思っています。まずは嬉野を忍者の街にすること。これが直近の目標です。そして最終的には伊賀・甲賀と聞いたら人々が忍者を連想するように、佐賀と言ったら忍者と連想できるようにしていきたいと考えています。
河野さんにとって忍者とはなんでしょうか。
河野: いろいろと調べていくうちに、忍者は各地にその地特有の職業として存在していたんだろうな、と感じています。忍者はその地域の文化なのだと捉えてるようになりました。なので忍者とは地域のシンボルですね。自分が住んでいた街にこういう忍者がいた、とわかると自分の中で誇りになると思うんです。今後も色々と調べて、特に嬉野近辺にいた忍者を発掘し、地元の人が誇れるような忍者文化を発見していきたいと考えています。
最後にNinjackをご覧の方にひとことお願いいたします!
河野: 夢街道にぜひ遊びに来てください!忍者の募集もしてますので忍者として働きたい方はぜひご連絡ください。
編集後記
これまでメディアでしか見ていなかった断片的なことが、かなり河野さんの狙い通りにことが運んでいることがわかりました。
全国区の有名テレビ番組で、嬉野忍者が見られる回数が結構多いのは、やはり河野さんの仕掛けのうまさがあってこそなんでしょうね。
頭目とのインタビューでも感じましたが、人の話題になりそうなこと、面白いだろうと思うことを実際にやってのけて実績につなげる手腕には感服します。
肥前夢街道の頑張りが、確実に忍者界全体の盛り上げに多大なる貢献をされているでしょう。
これからも怒られるか怒られないかギリギリの企画を推進していって欲しいです!笑
世界各地で活躍する諸将の皆様へ、Ninjack.jpを通じて各地の忍者情報を密告する編集忍者。忍者に関することであれば何でも取材に馳せ参じ、すべての忍者をJackすべく忍んでいる。