忍者隊と共に名古屋を天下一の街へ 〜徳川家康と服部半蔵忍者隊「徳川家康」〜|Nin-terview #018

愛知の忍者隊を束ねる徳川家康様。

家康様は遥か昔から名古屋城に蘇られておりますが、忍者たちとは違って世を忍ぶ仮の姿も何もなく本物の家康様です。

家康様から見る服部半蔵忍者隊のことだけに留まらず、家康様の生涯などについてもお聞きしてみました!

名古屋を「再び」天下一の街にするために蘇った

うおぉぉぉ!あの東照大権現様にこうしてお会いできるなんて感激ここに極まれり、恐悦至極にござります!ふつつか者ではございますが、本日はどうぞ宜しくお願い申し上げます!

徳川家康: うむ、何でも聞くがよいぞ。

ありがたき幸せ….!それでは忌み名でお呼び奉りますが失礼仕ります。家康様はなぜ、またこの名古屋の地に蘇られたのでしょうか?

徳川家康: ワシはの。実は400年前にすでにこの名古屋の地を天下一の街にしようと目指しておったのじゃ。何も江戸を天下一の街にいたし、それと同じような街を名古屋に作ろうとは思っていたわけではない。当時信長殿が治めておった最大の街「清洲」の街並みをそっくりそのままこの名古屋に持ってきたのじゃな。町人たちもそのまま引っ越しさせ、橋や道の名前なども清洲にあったものと全く同じものをつけたのう。小さな街をだんだんと大きくしていくのではなく、現世でいう経済特区や行政特区という形で作り上げ、この名古屋の街を交通や経済の要所といたしたのじゃな。

じゃが時が経ち現世になってみると、世界の中では名古屋という街はまだまだ小さいということに気づいてしまってのう。街の魅力というのは面積であるとか人口であるとか様々あるのじゃが、今の世では観光こそがその街の魅力を高める武器になると思うておる。名古屋城おもてなし武将隊徳川家康と服部半蔵忍者隊観光の柱となって、この名古屋の街を世界一とすると誓った400年前と同じことをするために、あの世から蘇って参ったのじゃ。

そういうことでしたか!家康様が蘇られて7年間が経過しましたが、どんな7年間だったでしょうか。

徳川家康: 重荷を背負うて遠き道をゆくが如き7年間であった。この重荷というのは苦しさではなく、責任という意味じゃな。この街を天下一の街にするためにはどうすべきか、ずっと考えながら生きてきた7年間じゃったの。

しかしワシは運がよい。ワシは人と会うのが好きでな。人と会うと固まってしまった心が解けるのじゃな。何かを考えると一つの考えに固執してしまうことが多いじゃろう。それはある意味考えにこだわりを持つ強さかもしれんけれども、あまり価値のあることではないと思うんじゃのう。

ワシは人々や街が何を欲しているのか、この街の魅力とは何かについてワシ一人のこだわった考えはいらんと思うておる。ワシを介して人々が考える魅力が発信できればそれでよいのじゃ。皆と話し、それを伝えていけたことで、この7年間やってこられたというものじゃ。

家康様を介して名古屋の人々の考えや魅力が伝わっていくのですね。やらねばならぬことはまだたくさんあるかと思いますが、あとどれくらい続けて行かれるご予定ですか?

徳川家康: 武将隊も忍者隊も100年続けばそれが文化になると思うのじゃ。例えば「祭り」という日本の文化があるのう。お主たちの言葉で「イベント」と呼ばれるものが1回であればそれは「催し」であるが、それが100年続くとその催しを行うことが当たり前になり、やらなくてはならぬことになる。こうして「祭り」が生まれ、それが文化となっていくのじゃな。武将隊も忍者隊も100年はやりたいが寿命もあるからのう。せめて前世で死んだ75歳まではやりたいのう。

そのあとの25年は秀忠に継がせれば大丈夫ですね!

徳川家康: そうじゃな!それはそうとNinjackとやら、お主の生まれはどこじゃ?

えーと、下総のあたりでございますね。

徳川家康: あの「鼠遊戯国(ディズニーランド)」があるところじゃな!ワシはかの国を尊敬しておるのじゃ。特に鼠遊戯国の光希殿(ミッキー)はすごいのう!誰もが知っており、世界中から愛されておる。常に期待を裏切らないじゃろう?ワシの目指すべきところの一つじゃと思うわなぁ。

まさかあの天下人の家康様が光希殿を目指されるとは…!

徳川家康: 「ある意味」じゃ。何も光希殿の耳をつけたりはせんぞ!(笑)

ご無礼を仕りました(笑)これまで現世に蘇ってから嬉しかったことはありますか?

徳川家康: かれこれ5年ほど前の七夕の日じゃったかの。とある大きな笹にかかった短冊に「おおきくなったらぶしょうたいのいえやすさまになりたい」と書いてあったのじゃ。それが嬉しかったのう。何故こんなに嬉しいのじゃと考えたところ、それはワシの活動が文化になるためには欠かせない「受け継ぐ者」が現れたことじゃった。かっこいいとか憧れの念が生まれると、その者になりたいという新しい芽が生まれる。職業が「殿」というのも悪くないと思うたわ。忍者隊も非常に人気じゃぞ!

それは嬉しいですね!逆に苦しかったことはあったのですか?

徳川家康: 結成当初の演武がひどかったのう。我ら武将隊10人で演武の準備をするじゃろ?観客数が3人だったのじゃ。「これはやる意味があるかのう?」と思うたわ。観客の者も3名なのに10人の武将に迫られて気の毒じゃったのう…

そのような状態からここまで人気になったターニングポイントなどはございますか?

徳川家康: 最初の頃は外部の祐筆の者(メディアの記者)達に助けられたの。その頃から甲冑を着て観光スポットに出現する者はいたのじゃが、過去から蘇ったのは名古屋城が初めてじゃった。それを祐筆の者達が興味を持って発信してくれてのう。そこから爆発的に知られるようになったと感じておる。今の人気があるのも祐筆の者たちのおかげじゃ。あの頃は助かったのう。

では家康様にとってそのタイミングが関ヶ原の戦いだったんですね!

徳川家康: お主、面白いことを言うのう!しかしあそこはまだ桶狭間の戦いじゃな。その時の奇跡的な勝利を収めて今がある。今は信長様もご存命だで、当時でいえば美濃攻略あたりじゃろうな。

現世の家康像

最近大河ドラマの「真田丸」などでも家康様を演じるお方が多く出演されていますが、たぬきオヤジのような描かれ方はいかなるお気持ちなのでしょうか。

徳川家康: ワシを演じてくれる者が多くいるのは嬉しいのじゃがの。ワシの人気というのはこれまでも波があったのじゃ。例えば戦国時代は割と正しく認識されておって、たぬき親父などと呼ばれることは一度もなかったのじゃ。あれは明治期になってからつけられた呼び方でのう。ワシはどちらかというと「律儀な徳川殿」で通っておった。ひとつひとつのことをきっちりやっていく性分だったのじゃな。それから江戸時期に入って、ワシは神格化され権現様となった。徳川家康という名を名乗ってもいかんほど崇められておったのじゃな。

そして幕末を迎え、明治に入る頃はどうしても徳川に変わる新しい正義が必要だったのじゃな。そこで豊臣秀吉やその上司である織田信長などの話が出てきたのじゃ。今の世を見てみて欲しい。石田三成や島左近、長曾我部など人気のある者はことごとくワシと相対したことのある武将なのじゃ。特に真田幸村と呼ばれしかの者は、日の本一の兵として最大級の人気を誇っているであろう。真田のような武勲を立てたものは星の数ほどおるのじゃが、いかに徳川に対して刃を突きつけたかで人気が変わっていったんじゃのう。その頃に無名だった武将達を神格化する動きが一斉に始まったのじゃ。それは薩長をはじめとした新政府が相対的にワシの名を下げるための作業だったのじゃな。

それは大変納得できますね。確かに明治政府にとってはその作業は必要。苦難ばかりですね。。

武士は非現実的、忍者は現実的

名古屋おもてなし武将隊としても服部半蔵忍者隊としても活躍されてお忙しいのでは…海外などはどこに行かれましたか?

徳川家康: 海を渡る事も増え、嬉しき事じゃ。米国、メキシコ、オーストラリア、台湾、マレーシア、シンガポールなどの各国じゃな。忍者隊としてもこの前ドイツ国に行ってきたぞ。

武将隊と忍者隊、海外の方の反応に違いはありますか?

徳川家康: ござるな。武士(MONONOFU)と忍び(NINJA)には大きな違いがござる。それは現実的か非現実的かの違いじゃな。武士は過去に存在していることが明らかであり、尊敬もしてもらえるが、異国の者たちは「武士・サムライは今はもういない」ということを知っておる。じゃが忍者は各国ごとにその捉え方が違う。漫画やアニメ、映画などの影響で様々な国に様々な形で忍者が根付いており、「ニンジャは今も日本のどこかにいる、いて欲しい!」と思っておるし願っておるのじゃ。

忍者で喜ばれるのは「すぐそこにいるかもしれない」と期待をさせることじゃな。扉の裏に「忍者がおるぞ!」というと喜ばれるのう。逆に武士は時代錯誤が喜ばれるのじゃ。例えばそこに椅子があるのに床にあぐらを書いて座ると「Oh〜SAMURAI!」と歓喜する。故に忍者というのは多種多様な形を持っており、今の世には観光としても大変貴重な武器となると考えておる。

その分析かなり的確ですね!勉強になりまする。服部半蔵忍者隊に対してはどんなイメージでいらっしゃいますか?

徳川家康: 人智を超える体術に見惚れるのう。半蔵が頭でくるくると回るのじゃがあれはどうやっているのか、未だにわからぬ。半蔵は元々は武士だったのじゃがのう。今や忍者達を引き連れてあのような軽業を披露するようになったが、相当な鍛錬を詰んだんじゃろう。

その半蔵様に伊賀越えで助けられて今があるのだと思われますが、実際伊賀越えはいかがだったでしょうか。

徳川家康: 本当に死ぬかと思うたのう。ワシは死ぬならば綺麗に散りたい。それはワシの自尊心でもあるし、徳川の頭である以上、無残な行倒れはできないのじゃ。じゃて切腹しようとするが家臣達が止めるのじゃな。生きると一度決めたら何がなんでも最後まで生き延びねばならぬ。そこで半蔵の遠い縁戚を伝って伊賀を抜けることになったのじゃ。半蔵も生まれてからずっとワシと一緒におったでのう。ワシが信長殿と同盟を組んでいたこともあり、信長殿が起こした天正伊賀の乱のこともあったからのう。故郷である伊賀の縁戚を頼るのは半蔵も大変だったじゃろう。じゃがさすがは服部家。伊賀の者たちを束ね、半蔵以下の忍びの者たちは想像を超える働きをしてくれたのじゃ。服部半蔵忍者隊の者たちはワシの命の恩人じゃ。

しかしあれは本当に大変だったぞ…もう何度も「この辺で死なせてくれんかのう!」と騒いだものじゃった。すると平八郎(本多忠勝)が「殿ーーーーー!!」と死なせてくれんのじゃ!あの者はワシの年下にもかかわらず罵倒してくることもあるのじゃ。たまらんぞ…

伊賀越えは本当に危機だったみたいですものね。。あ、危機といえば家康様は三方ヶ原の戦いで息も絶え絶え逃げて…馬上で…その…

徳川家康: お主大変言いづらそうにしておるのう(笑) 糞を垂らしながら逃げた件じゃのう。あれは悔しいのう…。状況が難しくてのう。最終的には戦をしかけるつもりはなかったのじゃ。戦を仕掛けると見せかけて、仕掛けないつもりだったのじゃがの。現世ではおびき寄せられて散々に負けたとなっているが、あれは家臣達が憤慨して誘いに乗ってしまったのじゃ。ワシが悔しかったのは負けたことではなく、その状況を止められなかったこと。ワシが家臣達に示しがつかんような存在であったということじゃ。己が自身がどういう者になるべきかを常に考えることを忘れないよう、しかみ顔の肖像画を描かせたのじゃな。

しかみ像…悔しいとは思いますがもう一度やっていただくことは可能でしょうか…?

徳川家康: あれはもう二度とやりたくはないのじゃが、お主には特別じゃぞ。

しかめってますね〜!ありがとうございます!

忍者隊への応援メッセージ!

忍者隊への応援メッセージなどがあればお願いします!

徳川家康: まずは服部半蔵。お主には人徳がある。故に安心して我が伊賀者たちを任せられる。その人徳だけに頼らず、あらゆることに挑戦いたし、各国から来る人々からの尊敬の念も増やして欲しいと思うておる。さすれば服部半蔵と云う名が轟くこと相ならん。

助乃心冷静さは、時に熱くなり勢いを増した忍者隊が周りが見えなくなった時に、ほどよい加減で収めることができよう。思うのはのう、短い期間で事を成すのは以外と簡単なのじゃ。しかし大きく長い間成功を収めるにはこのような冷静な者の存在が必要である。表には出てこん。しかし、最も忍びたる仕事をしておるのは助乃心じゃな。

三平は面白いのう。明るいし優しいな。皆を喜ばせたいという気持ちは優しさから来る。優しさは人の事を考えられる想像力から来る者じゃ。皆が通ってきた苦難を知っておるでこそ、喜びを与えることができるのであろう。おもしろいと同時に優しいのが三平の良いところじゃて、これからも伸ばしていって欲しいのう。

水蓮は紅一点ということで唯一無二の存在じゃ。しかも視野が広い。水蓮が居ると場が整いやすくなる。個性を持った忍び達が多いじゃろ?じゃが水蓮の視野の広さがあると場がまとまるのじゃ。普通は紅一点のくノ一ということで個性を出して前に出すのもあると思うのじゃが、そのまとめを一手に担うのは水蓮の強さじゃと思うておる。女子というのは強いのう。水蓮も面白いのじゃが一歩引く視野の広さと強さが水蓮の良さじゃな。たまに忍者隊の母みたいになっておるな。
伊吹は「炎の伊吹」とはよく言ったもので熱があるのじゃな。炎というのは熱いものじゃが、この者の炎というのは「温かい」ときがある。忍者隊にぬくもりを与えることがあるのじゃ。アツ過ぎると煙たがれるが、皆が落ち込んだ時にぬくもりを与えることができるのも伊吹の成せる技じゃ。我が家臣の中でもこれほどの者はおらんな。

月影はその体術を持って人々を魅了することができる。そしてその体術をただ見せるだけでなく、どのように己が自身の技術を上げていくことができるか考えていけば、必ず多くの者を魅了できるであろう。我ら忍者隊はその華麗な体術で勝負しておるが、その中で体術に一番真剣なのが月影じゃ。以降も人智を超える体術をしかと極めていって欲しいのう。

そして天は武器じゃな。あまねく忍者隊という者が現世には存在するが、これほど特殊で鋭利な武器は他の隊にはない。ある時にはその鋭利な武器は突進力を生み、そしてある時には戦を起こさず平和をもたらすものにもなろう。そして日の本だけではなく異国へと発信していくための突破口になるのは、あの者しかおらん。

服部半蔵忍者隊の諸君、天下泰平の御旗の下、全国各地万国各国へ愛知の魅力を共に発信しようぞ。

家康にとっての忍者

家康様にとって忍者とはなんでしょうか?

徳川家康: 忍者というのは夢を叶える我が懐刀じゃな。400年前もワシの命を救い、結果としてワシの夢を叶えるために力を尽くしてくれたのが忍び達じゃった。ワシは皆のおかげで光を当ててもらったが、光が当たった裏には必ず影がござる。その影になってくれたのが忍者だったわけじゃな。しかし天下泰平となった今、影の存在は必要とされなくなった。忍びにとってはそれも辛いことだと思うが、今は影の時代に培った体術などで人々を魅了することができる。ワシの今の夢は、この愛知を再び天下一魅力的な街にすることであるが、忍者隊の面々は400年経った今も同じようにワシの夢を叶えてくれておる。そして忍者は人々に夢を与えたり、人々が夢を叶える後押しができる皆の懐刀的な存在にもなることができる存在といえよう!

Ninjackをご覧の読者にひとことお願いします!

徳川家康: 「徳川家康と服部半蔵忍者隊」は主と逢える日を心待ちにしておる。名古屋城にて出会い、忍者達の魅力を存分に味わうが宜し。

編集後記

家康に関すること、どんな質問を投げても即答で返してきてくださる家康様。

やはり名古屋おもてなし武将隊として、7年間時代の先端を引っ張ってきた将軍の力はハンパじゃありませんでした。

そして忍者に対する認識や捉え方についても非常に的確で、さすが忍者を一番使って成功を治めた大名だけありますね。

人質時代の話や鵜殿退治、関ヶ原の戦いの話などまだまだ聞きたいことはたくさんあったので、ぜひ一緒に「鯛のてんぷら」でも食べながら飲み明かしたいものです!

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