時代に生きた人々の悩みを救った祢津の歩き巫女 〜歩き巫女研究家「石川好一」〜

2009年の大河ドラマ 「天地人」で直江兼続に仕えたくノ一(演:長澤まさみ)がノノウと呼ばれる歩き巫女でした。

そんな歩き巫女が江戸時代に数多く住んでいたと言われる祢津(ねつ)(※現在の東御市)。

今回は、歩き巫女の研究を続けている御仁・石川好一先生にインタビューをさせていただきました。

果たして歩き巫女・ノノウとはどんな活動をしていたのでしょうか。そして、歩き巫女はくノ一として情報収集を行なっていたのでしょうか?

すべての忍者をJackするNinjackがお届けするインタビュー第38弾です。

祢津は日本一の「巫女の村」

石川先生、本日はお時間いただきありがとうございます!失礼ですが相当お元気なご様子…今おいくつになられるのでしょうか?

石川好一:  そうだなぁ、いくつだと思う?

(これ女子がやるヤーツ…!)えっと…そうですね、ななじゅ…

石川好一:   86歳だな。

(答え聞く気ないんやん…!笑)お、お若いですね!歩き巫女の研究をされるまではどのようなことをされていたのでしょうか?

石川好一:  県内で40年間教師をやっていてね。2校ほど小学校の校長を経て、その後は東部町(現在は市となっている)の図書館長をやっていたんだな。

その時はね、生涯学習と言うのが叫ばれていた年で、東御町の生涯学習として公民館で郷土史についてなどの講演をしていた時期もあった。そうこうしているうちに選挙があったのだけど、この集落からは誰も立たないんだわ。知人がやって来て「お前立て!」と言われて、8年ほど議員を経験したな。二期で辞めてからは、鼻くそほじくって生きてるよ。

鼻くそ…それにしても校長先生から図書館長、そして議員とはすごい経歴ですね!石川先生はどうして歩き巫女の研究をされようと思ったのでしょうか。

石川好一:  祢津は昔から日本一の巫女の村と言われていたんだよ。だけど祢津の人たちはそういう話はするが、まとまったものが何もない。後世のこの地域の人々に何か残すために、今わかるものは資料を集めてまとめておこうと思ったんだよ。近くに篠原さんという巫女の家に残ってた資料を発見したこともあり、その資料に基づいて分かる範囲でまとめはじめてみたのがきっかけだな。

「ノノウ」とは神様のこと

※左は神事舞太夫の末裔・篠原さん

ほほう…ちなみに歩き巫女というのはどのようなことをしていたのでしょうか。

石川好一:   普通、巫女さんはお宮について神事を行なっている人のことを言うよね。でもこの辺りの巫女さんはある神社に固定したのではなく、全国を津々浦々回り渡って、その土地にいる人々の悩みや苦しみを聞いて占いし、癒しの世界を与えた存在だったんだな。

巫女さんはここから1人では新潟や群馬や関東などの遠方にはいけないからグループで行くわけだ。その時のリーダーは男がやっているわけだけれども、その名を神事舞太夫(しんじまゆうだゆう)という。

歩き巫女を統率するリーダー・神事舞太夫!いったい何者なんでしょうか?

石川好一:  神事舞太夫の1番の上司は、江戸の浅草寺にいた田村と言う寺社奉行配下の宗教人だったんだ。その人の命令も受けながら、全国を旅したようだな。ありがたいことに幕府の偉い寺社奉行の配下にあったわけだから、全国にある関所も全て自由に歩けたんだよね。

江戸時代のお話なんですね!寺社奉行の配下なのですか…歩き巫女は全国を回って具体的にどんなことをしていたのですか?

石川好一:  これが色々と難しいんだが、明治に生き残っていた歩き巫女の祈祷を取材した新聞からヒントが得られる。リーダーの神事舞太夫が荷物を持ったり、宿賃を払ったりしながら全国の村を回っていると、「占いやってもらおうじゃないか」とみんなが集まってくる。その時にお祈りをするわけなんだが、お祈りをしているとね、神様が巫女に乗り移ってくるんだよ。

テレビか何かで見ていると東南アジアかなんかで踊りを踊っている場面とかがあるだろう。最後は恍惚となって人間なんだかわからなくなってしまっている。ああいった風に巫女がなってるんじゃないかと思うんだよね。神降ろしと言うんだけども。そうやって人々の悩み事を聞いたり、解決したりしてお金をもらっていたようだね。

トランス状態となって憑依させるんですね!ちなみにノノウというのは?

石川好一:  昔の人々は、仏様のことを「ののう様」とか「のの」とか言ったんだ。歩き巫女は神降ろしなどをしていたことからも神様に極めて近い存在だった。なのでノノウと呼ばれていたんだろうな。

イイ男と駆け落ちする歩き巫女

巫女たちは1年中全国を回っていたのですか?お金とかはどうしていたんでしょう。

石川好一:  巫女たちが村を出るの春先だな。私たちは群馬、私たちは新潟、などとグループを組んでいくんだよ。恵比寿様の本祭があるから11月までには帰ってこなくちゃならない。そんで旅先で買ったお土産やお金を持って祢津村に帰ってくるんだが、当時は普通の農村だから、地元の人から見れば想像できないような金持ちだったんだろうね。

そんな理由で、おそらく巫女の人たちは祢津村ではちょっと住みづらかったんだと思う。その当時の人からすると煙たがられていたので、自慢話にもならないわけだ。その証拠に、この村には巫女さんや神事舞太夫とわかるお墓がたくさんあるんだけれども、墓石に刻まれた戒名を消そうとして削った跡があるんだよ。

きっと「俺ん家の父ちゃんは神事舞太夫だ」とは言いたくなかったんだろうなぁ。日本一のノノウ村なのに、それを決してアピールしないのは、きっとそれが理由なんだと思うぜ。

とっても生きづらかったんですね…でもかなり条件のいい仕事だったんですね!

石川好一:  それがな、旅に出たのも質の良い生活をしたかどうかって言うと、資料には女同士で喧嘩したり、恨みを買ったり、新潟と群馬で「○○ちゃん元気でいますか?」「○○姉ちゃんが病気になっちゃった」とか手紙をやりとしていたり、しまいにはいい男と一緒に駆け落ちして逃げちゃったっていうのもあるんだよ。ノノウも一般の人と比べると神様が憑いている特殊な人種だと思われるが、心の底は普通の人間だったということがわかるんだな。

駆け落ち…ドラマティックですね!歩き巫女たちはどうやってそのような技能を身につけたのでしょう?

石川好一:  そこで時が戦国に遡って武田信玄が登場するんだよ。望月千代女という忍者の系統を引く女が、旦那さんが川中島の合戦で亡くなったあとに、信玄から甲斐信濃二国巫女頭領になるように命じられたんだよな。

出た!甲賀出身のくノ一頭といわれる「望月千代女」!僕大好きなんです!

石川好一:  ま、あの時代の文書としてはちょっと信憑性に欠けるところがあるから、もう少し研究は必要だけどね。ただ、注目すべきなのは、火のないところに噂は立たないわけで、そのような文書が書かれるほど、この一帯では「巫女頭領や望月千代女のような存在をみんなが信じていた」という環境があったということなんだ。それを受け入れる風土というのはあったということは、祢津に住む山伏修験道などの流れはきっとあったんだと考えられる。歩き巫女たちの呪術の技能は、おそらく山伏修験の流れから来ていると思うよ。

歩き巫女忍者説の実態は…

歩き巫女になるための条件はあったのでしょうか。

石川好一:  いろいろあるんだけれども、まずは美人じゃなければならない。巫女がどうやって集まるかと言うと、歩き巫女の旅に出たときに、道にいる女の子に「巫女になりたいか?」って声かけて連れてくるんだよな。子どもも畑仕事をやるよりは巫女様のような可愛い格好をして全国を旅して歩きたい、って言うに決まっているんだよ。

その時はみんな貧乏だったから、家の人たちも口減らしのためにどうぞどうぞと神事舞太夫に我が子を託す。でも黙って連れてけば拉致問題だからね。村役人が証人となった証書を書いて、6〜10歳の女の子を貰い受けていくんだな。神事舞太夫の家の戸籍を見ると、女性が7人もいる家があるんだよ。普通そんなこと考えられないぞ。どこの家も神事舞太夫の家は女が多い。そうやって旅先で子供を連れてこないと説明がつかないよな。現実にその文書も残されている。

道中で巫女をスカウトしていたんですね…!

石川好一:  でも考えてみれば6歳〜10歳の子が「明日から巫女やりな」と言われても何をするかわからないよな。先輩のお姉さんたちのやってるお祈りとかを見て、厳しいことなど叩き込まれるわけだ。

この村の年寄りの言い伝えでは、肉は食べちゃいけなかったり、冬でも水の中に入らなきゃいけなかったらしいな。そんな世界の中で、要領の良い子はすぐ覚えちゃうんだろうけど、辛くなって井戸に飛び込んで死んでしまったという言い伝えもあるんだな、これが。

一人前になるには自分で自分に暗示をかけられるように鍛えないとならない。神がかりなれる自分にならないとダメなんだよな。こんな苦労するんだったら死んだほうがいいやって言う人もいたんだろう。

ひえー!巫女になるにはそんな辛い修行が待っているんですね。。ちなみに巫女は女性ばかりですが、襲われたときはどうしていたんでしょうね。

石川好一:  そりゃ神事舞太夫の出番だろう。盗賊などに襲われたときにも耐えられる人間じゃないと、神事舞太夫は務まらない。神事舞太夫は山伏の修行も行なっていたと考えられるから、それなりの武術もある程度身に付けていたんじゃないかな。それに、寺社奉行の配下でもあるそれなりの地位もあったから、襲えばお尋ね者になるという権力のようなものもあったんだ。

神事舞太夫も忍者な感じがヒシヒシとしてきますね!気になる忍者とのつながりなのですが、歩き巫女は情報収集はしていたのでしょうか。

石川好一:  神事舞太夫の末裔・篠原さんの家に、その家に残された人相書きがあるんだよ。顔の形がいびつである、とか年が25くらいとか書いてある同じような人相書きが2〜3あって、どうやらそれを持って全国を歩き回っていたらしい。つまり、忍者かどうかは知らないが、歩き巫女には何らかの情報収集をしていた存在としての一面がある、ということだと思うんだよね。

歩き巫女が使った呪術などの技能、普通の人間が持っていない能力や武力を持っているのは山伏修験の流れが入っていると見ている。忍者というのはあんたの方が詳しいと思うけど、ただ隠れてればいいと言うわけでもない。敵地で情報を必ず持って帰ってこないと何の役にも立たないし、とにかく任務を遂行することが求められる。そのためには、腹が痛くなったらどうするか、雨が降ったらどうするか、全部自分でこなさないと責任は果たせない。腹が痛くなったら道端にある草の葉っぱを噛んで食べれば腹の痛さがなくなるのか、喉が変わっていたらどこから水が出るのか、明日の天気はどうだ、風はどうだ、そういうのを身に付けていないと任務は達成できないんだよな。神事舞太夫や歩き巫女にも同じような能力は備わっていたと思うよ。

当たらずといえども遠からず …と言ったところでしょうか。先生としてはこの祢津に巫女がいたという事は、誇りに思うべきことだと思われますか?

石川好一:  思うね。ただやっぱりね、地元の人は祢津の巫女を調べていくと自分の家と関係してくるところが出てくるからか、嫌がる人も多いのは事実。祢津とノノウに関する本も書いたけれど、地元でも大半の人は読まなかった。教科書では、本能寺の変とか、家康が幕府を開いたとかは学ぶけど、大事なのは自分たちが住むこの地域がそのときにどんな人が住んでいて、どんな歴史があったのかを知る事なんだよな。この町が故郷である子どもたちが、そのことを学べるようにすることが大事だよな。今は先生たちに勉強会を開いて、子ども達に自分たちの故郷の歴史を知ってもらえるような活動もしているよ。

石川先生にとっての歩き巫女

先生にとって歩き巫女と言うのはどういう存在でしょうか。

石川好一:  いま一番思うのはね、うつ病っていうのは、最近になって出てきたものじゃないんだよなぁ。昔の人々も、もうすぐ「歩き巫女がくるから占ってもらおう」と、占いを心の拠り所にしていたんじゃないかと思うんだよ。それで鬱がどんどん軽くなっていく人もいたんだろう。信濃の巫女に占ってもらえれば、気持ちが良くなってくるという人もいたんだよなぁ。

考えてみれば、時代に生きた女性たちの苦しみや悩み、これに対する救いは、当時祈りの世界に求めなければいけなかった。歩き巫女・ノノウは、そういう中流社会の人々を救った人たちだったんじゃないかと思えて仕方ないんだよな。

歩き巫女は中流社会の中で、女性として、しかもそれが信仰という大衆の心が集中する世界で民衆の悩みを救ってやろうとした存在。そしてその中で自分達も悩んだり、迷ったりしていた。その意味でも現在の女性と通ずるものがあると思う。歩き巫女は昔の話だと思うところもあるけど、その精神は現代の女性にも伝わっているんじゃないかな。

現代のカウンセラーのように、当時なくてはならない存在だったのかもしれないですね。 最後にNinjackをご覧の方にひとことお願いします!

石川好一:  各時代に生きた人たちの気持ちを素直に読み取ってください。特別な感情で読んでいけません。武田信玄だって「なんで戦いばかりやってたんだろう」と思うとおかしいかもしれないけれども、そうしないと生きていけないそんな時代だったのです。そんな厳しい世界の厳しい生活の中で、人々の悩みの世界の中で何とか助けてやろうとがむしゃらに全国を回っていた女性がいました。そんな世界を噛み締めてみると、また一味違った歴史を楽しめるのではないでしょうか。

本日はどうもありがとうございました!

編集後記

大変貴重な歩き巫女の研究成果を楽しそうに話してくださった石川先生。このインタビューでは割愛させていただきましたが、忍者に関する研究も少しずつ初めていらっしゃるとのことで、信濃地方における忍者についてもかなりお詳しいご様子でした。

歩き巫女は忍者の中でもくノ一と繋がるすごくロマンが溢れる存在です。今後も歩き巫女と忍者の関係を、ぜひとも紐解いていただけたらと切に願うばかりでございます!

そして、石川先生の本「信濃の歩き巫女・祢津の里ノノウの実像」を出版されたグリーン美術出版の担当編集者・山田さんには大変お世話になりました。取材の時に石川先生が隠してた忍者研究の資料を初めてご覧になられて目を輝かせていらっしゃったので、これが本になって世に出ることも期待しております!笑

なお、石川先生の本は在庫がなかったのですが、増刷となったそうです!長野県の一部書店か、グリーン美術出版さんにお問い合わせすれば販売してくださるそうで、上記Nin-terviewでは全て描けなかった歩き巫女の真実を知りたい方はお買い求めくださいませ!

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