突然はじまった「忍びの国に出て来る史跡巡りシリーズ」!
今日の舞台は、伊賀衆が織田のために築城したのに速攻で火をつけた丸山城に潜入します! 果たしてどんな佇まいで出迎えてくれるのでしょうか…?
北畠具教が造り、滝川雄利が再築した丸山城
忍びの国の映画の中では織田信雄がこの城を造らせましたが、実は最初に築城したのは北畠具教でした。
具教は、隠居するための城として地域の伊賀衆を説得して、1576年の正月にこの丸山城を造りはじめたのです。 ただこの頃に北畠具教と織田信長の仲が悪くなり、具教は築城途中で丸山城を置いて伊勢の方へ引っ込みました。 その年の暮れに具教は、信雄や長野左京亮に襲撃を受けて暗殺されてしまうのでした。
具教との決闘シーンの直前まで、丸山城は築城していたんですね!
そうしてその2年後、織田信雄が伊勢を攻めるため、丸山城の再び再築するように命じたのです。
この時丸山城の再築を請け負ったのは、信雄の家臣である滝川雄利。 ちなみに彼は甲賀忍者とも噂されていた滝川一益の養子といわれています。
甲賀者の子が伊賀者を攻めるための城を造るとは…なんという運命なのでしょう!
比自岐川ほとりの丸山城
伊賀上野城から車で20分ほどの「枅川」の付近に丸山城はあります。
この辺りは昔は神部村といい、忍びの上手と称される忍術の達人(神部の小南)も住んでいた地域です。
川のほとりに見えるのがこちらの丸山。
この山に城が築かれ、頂上には天守まで築かれていたようです。
城趾へといくにはこの橋を渡らねばならぬ様子。
うおぉ!揺れる…揺れる…!
対岸に着くと、丸山城趾への入り口がありました。
道なのか獣道なのかわからぬ道を黙々と歩き続けます。
途中、なんか小さい掘り起こされた穴のようなものを見つけました。
もしかして…土遁の術で忍者待ち伏せしてる…!?
念のため穴の周りを思いっきり踏んでみましたが何も出てこないので、忍者さんもしびれを切らしてどっかに行ってしまったんでしょうね…
このうっそうと茂った木々…上から吹き矢とかで狙われてるんじゃないだろうか…
一応頭上にも気をつけながら、それほど急ではない斜面を登っていたところ…
!!!・・・あqwせdrftgyふじこlp;@:!!!!
足元に骨が落ちていました…!
人間の骨ではないですが、猿とか何かの小動物っぽいですね…。
忍者か織田軍にやられたのだろうか…かわいそうに…
丸山城の立派な碑にお目見え!
途中こんな鳥居が見えてきたら、もうすぐ天守があった頂上です。
笹が一面びっしりと生えており大変歩きづらいのですが、ようやく見えてまいりました。
3mくらいはある立派な記念碑!
ここが天守台で、丸山城はこんな所に建っていたんですね!
少し横には本丸なのか開けた場所があり、そこにはこれまた綺麗な供養塔が。
織田の名前も書いてあったので、ここで散って行った織田軍を供養するための塔かもしれません。
来た方と逆側に少しおりて行くと、小さな神社がありました。
この辺りは大変開けた場所になっていて、南曲輪の位置だったと思われます。
本当はこっち側からのルートが一般的のようですが、どうやら裏から入ってしまったようです。
まぁ忍びとしては正面よりも裏から行きますわな!(見つけられなかっただけだけど…)
映画での築城シーンはいかにも機敏な忍者っぽい造り方でしたが、思ったよりも天守付近は広くなかったので、あんなに悠々自適には動けなそう…というのが感想でした。
伊賀の忍びたちが作った丸山の城、お時間あればぜひ行ってみてください!
なんかの小動物の骨、きっとまだあると思うので、気をつけてくださいね!
世界各地で活躍する諸将の皆様へ、Ninjack.jpを通じて各地の忍者情報を密告する編集忍者。忍者に関することであれば何でも取材に馳せ参じ、すべての忍者をJackすべく忍んでいる。