真田昌幸に裏切られる「滝川一益」も元は甲賀忍者?
織田家重臣「滝川一益」
大河ドラマ「真田丸」にて、武田滅亡後に真田昌幸の上司となった滝川一益。
段田安則さん演じる織田家の重臣ですが、本能寺の変のあとから一気にその勢力の雲行きが怪しくなっていきます。
第7話では遂に清州会議に間に合わずに今後の出世街道から外されてしまった一益。
真田丸では命運が尽きていくところから描かれているのですが、信長全盛期のときには相当な手練れでした。
幼い頃に信長の小姓となり、入って間もなく盆踊りの餓鬼役を務めたのが「滝川左近衆」とあることから、小さい頃からすぐにひとつのチームを束ねるリーダーの格を得ていたほど優秀な者でした。
その後織田家内でも「先を駆くも滝川、また殿も滝川」とまで言われるほどの勇猛果敢な戦いぶりでみるみる頭角を表していき、「織田四天王」にまで上り詰めた一益ですが、彼が織田家に入るまでは何をしていたのでしょうか?
実は甲賀出身の忍者だった?


滝川一益が居城したことから滝川城と呼ばれ、またこの地の名称から五反田城とも伝えられます。滝川一益は甲賀大原庄に生まれ、16才まで在住した後、織田信長の配下に加わりました。石山本願寺攻めや伊勢長島一揆鎮圧などに武勇を上げ、信長四天王のひとりとして数えられました。後には関東一円を支配する管領となりますが、元亀元年(1570年)に信長の近江守護六角氏追討と六角氏支援の甲賀武士を攻める大将とされ、故郷の親類・同胞を攻めることとなり、戦国時代の世の下克上と悲話を物語る城跡です。 <甲賀町教育委員会>一説によるとこの滝川城を攻める戦いの後、滝川氏は当時の甲賀における民間自治組織「大原同名中惣」から名前を抹消されたとか。 生き延びるためだとはいえ、故郷の一族の顔に泥を塗ってしまった一益。 まさに悪ガキですね。 小さい頃から彼はずっと悪ガキだったのです。
甲賀時代の残虐な悪餓鬼エピソード
16歳ごろまで甲賀の地で育った滝川一益。 彼の悪ガキぶりを表すエピソードが残っています。 一益は幼き頃から鉄砲の鍛錬を欠かさずにいたほどの鉄砲の名手。 火薬の町・甲賀ですから練習のための材料はたーんと揃っていたことでしょう。 しかし、一益は何があったのか河内国(今の大阪)のあたりで一族のある人を殺してしまったようなのです。 ターゲットは高安某(なにがし)さん、または伊藤内蔵(くら)さん。 殺してしまった理由は不明なのですが、諸書によるとその暗殺方法がとても忍者っぽいのです。