中部国際空港に忍者が大集合!忍者フェスティバル2017に潜入したので報告いたす(1/2)
セントレアは国内唯一の忍者空港
週の初めには出ていた雪予報もすっかり覆され、晴天の青空の下、やってきました中部国際空港「セントレア」。
セントレアは国内唯一の「NINJA空港」として、忍者のブランディングで打ち出している空港なんです!
その証拠に、各航空会社のチケットカウンターの上には、至るところに忍者が潜んでいます…!
空港のロゴなのに、こんなバージョンまであるくらいですから…!
こんなに忍者ゴリ推しの空港で「忍者フェスティバル」なんてものが行われるというのですから、行かないわけには行きませんよね!
羽田空港から1時間ですぐ着くので、いやー名古屋って近い!(飛行機高いけど…)
イベント目白押しの忍者フェスティバル!

空港で手裏剣打てる日が来るとは!








圧巻の演武ステージ一挙紹介!

荘厳なオープニング!






徳川家康と服部半蔵忍者隊

毎度おなじみのとざいとーざいーから、会場をいじり倒してくれました。







清洲城煌奪取+CAT









名古屋おもてなし武将隊







ネコ忍だいごろう











徳川隠密隊














伊賀忍者特殊軍団「阿修羅」












忍者先生 × 忍者大好き将軍の忍者トークショー


[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”R1″ icon=”ieyasu.jpg” name=”徳川家康”]ほう、忍者の仕事は情報収集なのじゃな。そのような書物が残っておるんじゃのう。
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”L1″ icon=”yamada.jpg” name=”山田先生”]もちろん最も重要なのは情報収集なのですが、戦国時代は放火や戦闘などもしていました。忍びの人たちは火を自由に扱う能力を持っていたのです。
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”R1″ icon=”ieyasu.jpg” name=”徳川家康”]あの頃は放火がよく起こっておったのう。ちなみに名古屋城の金のシャチホコは、火を恐れて水の神様を頂きに置いたところから設けられたのじゃ。それにしても、忍びという者は「智」が豊かであったのう。忍びは頭が良くないと勤まらぬ。
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”L1″ icon=”yamada.jpg” name=”山田先生”]そうですね。あらゆる面で試行錯誤をして火薬を生成したりと、並々ならぬ努力もされていたと思われます。

[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”R1″ icon=”ieyasu.jpg” name=”徳川家康”]信長殿はかなりやってまったでな…!この後出てくると思うが信長殿のせいでワシの伊賀越えが大変なことになるんじゃのう。
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”L1″ icon=”yamada.jpg” name=”山田先生”]本能寺の変の頃に堺にいらっしゃった家康公が岡崎に戻る神君伊賀越えですね。東海道を通るのは危ない、ということで甲賀と伊賀の山の中を越えられたのですよね。生涯の中で非常に危機を感じられたと伝わっておりますが、いかがでしたか?
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”R1″ icon=”ieyasu.jpg” name=”徳川家康”]正直ワシは腹を斬った方がよいと思ったんじゃがな。本田平八郎忠勝が斬らせてくれんでのう。その後、まずは「信長公の仇を打つ!」ということで岡崎に帰ることと決めたのじゃ。今でこそ甲冑を来ておるが、その時は物見遊山、お主達の言葉で言えば「ゆーえすじぇー」なるところに遊びに行っていたような感覚じゃ。偉い楽しんでおったら信長公が打たれてしもうて。狙われるのは次はワシ。伊賀を通らないと帰れんというのに信長公がその数年前に伊賀でやってしもうたから大変じゃったわい!
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”L1″ icon=”yamada.jpg” name=”山田先生”]その時に助けてくれた伊賀者・甲賀者を取り立てて江戸城に連れていき、警備などにあてたのですよね。その時服部半蔵が守っていた門が「半蔵門」として今でも名前が残っています。正成自体は岡崎の生まれであり、ご本人は忍びの者ではありませんでした。

[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”R1″ icon=”ieyasu.jpg” name=”徳川家康”]現世でも重要視されておるな。人とのやりとりのうまさや頭の回転の速さは、主たちのどの職場でも最も必要とされる能力ではないだろうか。忍びの者たちが他の者にはできない術ができるのは、それだけ知恵が働いていたということじゃ。それ故に彼らは当時から尊敬されていたのじゃな。
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”L1″ icon=”yamada.jpg” name=”山田先生”]そうですね。そのように文書にも残っているわけですね。忍びの心として大事なのは「正心」であると書いてあります。自分の利益のためではなく、自分の正体を隠しながら主君に命じられた事を黙々と果たす、というのが求められていました。忍びというのは「音もなく、匂いもなく、知名もなく、勇名もなし」と書かれています。これが忍びの心なわけです。
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”R1″ icon=”ieyasu.jpg” name=”徳川家康”]正心のことは後の服部半蔵忍者隊の忍者学校でも出てくるからのう。皆の者、しかと聞いておくがよいぞ。
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”L1″ icon=”yamada.jpg” name=”山田先生”]ちなみにこの「音もなく、匂いもなく」というのは伊賀に行くとトイレに書いてあったりするんですよ。
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”R1″ icon=”ieyasu.jpg” name=”徳川家康”]おぉ…それはさすがに無理じゃろ!

[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”R1″ icon=”ieyasu.jpg” name=”徳川家康”]皆の者、勉強になったであろうか。良き話が聞けたと思う者は拍手をいたせ!
パチパチパチパチ・・・!!
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”R1″ icon=”ieyasu.jpg” name=”徳川家康”]違う!忍者は「音もなく、匂いもなく」じゃ。忍びの拍手は鼻をつまみ、片手で空を叩くように、こういたすのがよいであろう。
[speech_bubble type=”ln-flat” subtype=”R1″ icon=”ieyasu.jpg” name=”徳川家康”]意味がわからんな!やっぱり普通の拍手にいたそう。山田殿、ありがとうでござった!!
さて、続く「忍者学校」と恒例の「リアル忍Jack(イベントに来てた忍者紹介)」は第2弾でレポートいたします!
[wp-svg-icons icon=”point-down” wrap=”i”]第2弾はこちら
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