江戸隠密 武蔵一族 18代頭首「柴田バネッサ朱雀」独占インタビュー|Nin-terview #001(1/2)

東京都近郊で外国人向けに “本物の忍者が体験できる” という忍者道場があります。 それが「江戸隠密 武蔵一族」の田端道場です。

日本国内では伊賀や甲賀などの大手忍者ブランドが有名ですが、外国では着実に認知度を広げている武蔵一族。

Ninjackでは、この日の丸急上昇中の武蔵一族の代表である「柴田バネッサ朱雀」様の独占インタビューをさせていただくことに成功しました!

武蔵一族とは何か、頭首の生い立ちは、忍者で世の中をどう動かして行こうとしているのか。 全ての忍者をジャックする”Ninjack”が送る”現代の忍者”の深堀りインタビュー連載企画。お楽しみください。

戦国時代より続く忍者の世襲家系

それでは柴田様の生い立ちから聞いて行こうと思うのですが、「バネッサ」「朱雀」など複数の呼び名がありますけれど、なんとお呼びしたらよろしいですか?

朱雀: 忍者名としては「朱雀」で呼んでいただければと思います。父からこの一族を継ぐときに与えられた名前です。本当は祖父の字をもらいたかったんですけどね。「女性なので温かみのある名前に」ということで父に却下されました(笑)

忍者名というのは代々柴田家で付けられたものなのでしょうか。

朱雀: 18代目の私「朱雀」から遡っていくと、17代の父は「鉄聞斎(てつぶんさい)」、16代の祖父が「龍之丞(たつのじょう)」、そして15代の曾祖父で江戸幕府の外国奉行として活躍した “柴田剛中” が「恬斎(かっさい)」と称していました。

一族の中で一番活躍されたのが15代の柴田剛中様とのことですが、主にどのような働きをされていたのでしょうか。

朱雀: 柴田剛中は幕末の動乱時代に、役人登用の難関試験を突破して、今で言う裁判所の勤務になったのです。その後、町奉行などを経て、外国奉行になりました。外国奉行になると、ヨーロッパでの海外交渉などを担当し、幕末の諸外国との緊張関係の緩和に勤めていました。

その時から忍者を使っていたのですか?

朱雀: 父から聞いているのは、当時剛中は12名の同心を伴っており、そのうち6名が隠密だったと聞いています。資料に残せるものではないので、彼の日記などからそれらしき人物に目星をつけることしかできないのですが、口伝で伝わっている形となります。

15代の剛中様より以前のご先祖様、初代については何かおわかりのことはあるのでしょうか。

朱雀: 父からは「私たちの一族は、柴田勝家の系統だ」と聞いています。そもそも「武蔵一族」と名付けた由来もこれに関係していて、私達の親族である、柴田勝家の子孫の本国は三河(今の静岡県)なのですが、昔、その三河の柴田家から私達の柴田家のことを「武蔵の柴田一族」と呼んでいたらしいのです。

このことから父は柴田勝家の家系であると言っていますが、資料的な裏付けができていません。口伝で伝わっていることを証明するために資料的な裏付けもしていきたいため、今、武蔵一族に所属してもらっている忍び達に家系関連を調べてもらっています。

“忍者” よりも “国際交流” に興味があった幼少期

小さい頃は、どのような家庭で過ごされていたのですか?

朱雀: 小さい頃は、父・母と祖父・祖母と2世帯で暮らしていました。祖父は一時期キリスト教の牧師だったのですが、私が物心ついたときは既に牧師を引退していました。その影響もあってか、よく祖父に協会に連れいかれたりしまして、私も一応キリスト教の思想は勉強しましたね。「バネッサ」というのも洗礼名なのです。

そうだったのですね!ちなみにその頃は家庭内に忍者的な風習とか要素はあったのでしょうか。

朱雀: 父は母と結婚する前から、ずっと忍者が使っていた武器を製作していました。家の中には父が作ったらしき”十手” や “棒手裏剣” がたくさん転がっていましてね。一体父がどこで作っていたのか知らないけども、しょっちゅうどこかにいなくなり、家にはほとんどいなかったんですね。祖父は牧師になってしまいましたから、おそらく祖父の同僚が父に武器の作り方を教えたのだと思います。

あと、私は違う先生から合気道を習っていまして、その道場の隣の部屋で、黒田流(九州に伝わる甲賀系忍術流派)の松尾剣風先生と父が、武芸交流という形で鎖鎌や十手などの稽古をしていました。

ある日、床下にバラまいたビール瓶の破片の上を裸足で走り回っているのを見ました。父に「あれは何?」と聞くと「忍術だ」と答えるのですが、忍術はFUNNYという意味で面白いなと思っていました(笑)。

でもその程度でしかなく、忍者には全く興味はありませんでした。柴田剛中のことも、父や祖父からは「侍だった」としか聞いていなかったですし、「侍の家系なのに趣味で忍者やってるんだ」としか思ってなかったですね。

忍者には興味がなかったんですね!では当時は何に夢中だったのですか?

朱雀: 語学です。もう幼稚園の頃から語学にしか興味がありませんでした。祖父に連れて行ってもらっていた協会に行くと、外国の方がいっぱい来てたので「あー!この人達と話したい!」と強く思ったのです。

そこからでしたね。父は英語を習わせてくれなかったので、自分で協会の日曜学校に通ったり、毎日英語の辞書を呼んでいました。

おじいさんの影響をかなり受けたんですね。

朱雀: 牧師だった祖父の影響ですね。家には武器も転がっていましたが、外国のものもいくつか飾ってあったりして、柴田剛中がヨーロッパ遠征のときに持って帰ってきたお土産の時計なんかも置いてありました。父が小さい頃と私が小さい頃に全部壊してしまったみたいです。私もどうしても興味に勝てなかったみたいですね(笑)。

も、もったいないですね(笑)それで通訳者で生きて行こうと思ったんですね。

朱雀: はい、そうですね。外国の方と触れたい、喜んでもらいたい、そんな想いから通訳者への道を歩み始めた形になります。

忍者活動の開始と武蔵一族の興り

ではなぜこの武蔵一族の道場を開くことになったのでしょうか。

朱雀: 通訳者として仕事をしていて、外国の方と接するじゃないですか。すると彼らが日本に来ても、夜に日本らしきエンタメが体験できる場所がないんです。

当時”歌舞伎”はありましたが、行ってもストーリーはよくわからず、喜んでいない。唯一歌舞伎の中で喜んでいる要素は”チャンバラ”だと気づきました。あれを見せれば外国の方は喜んでくれる。ならば忍者をやろう。そう思い始めてきたんですね。

そうしている内に、父が昔から作っている武器の紹介ホームページを作るのを手伝うことになったんです。そのホームページを作る過程でいろんな武器の説明を受けたりしていると忍者に段々と興味が出てきました。

そしてある日、あの戸隠流忍術の継承者と言われる初見宗家の “武神館” の師範の先生が、「道場で使う武器を作ってくれないか」と問い合わせがあったのです。その先生とやりとりをしている中で、私が「忍者のショーのようなものはできないか」と聞いたところ「できる」とのことで、その先生について2004年に「忍びの衆」というチームで活動するようになりました。

ということは、その忍者の活動を始めた頃は、ただ「外国人に喜んで欲しい」という想いだけで始めたということで、まだ朱雀様の祖先が忍者の稼業を継いでいるということは知らなかったのですか?

朱雀: 小さい頃に父が忍者なり忍術なりをやっていたので、少しは忍術のバックグラウンドがあるんだろうな、とは思っていましたが、それを全面に打ち出すようなものではないと思っていました。なので、別の先生に協力を仰いで始めたのです。

しばらくその先生と、そのお弟子さん達と一緒に忍者ショーを始めたのですが、その先生にちょっと事情があって袂を分かつことになってしまったんです。 今後どのように活動していこうか困って父に相談したら、父が手伝ってくれるということになり、そのとき父の元で武術を習っていた者が一緒に手伝ってくれることになりました。

それが今の武蔵一族の”頭目”です。

頭目には何度かお会いしましたが、ほとんど表には出ないですけれど、動きのキレから頭脳のキレまで凄い人物ですよね。

忍術の解説書などを多く執筆している名和弓雄先生と、私の父が友人だったのですが、頭目は当時名和先生について武術を教わっていました。名和先生が亡くなってしまってからは、父の元で修行をされていました。

その頭目が入ってブレーンとなっていただき、さらに前の武神館の先生のお弟子さん達のうち、私に着いて来てくれる方々も仲間に入ってくださって、2008年、本当の意味での今の武蔵一族の前身である「アーバン忍者東京」が立ち上がりました。

最初は新宿の忍者屋敷で活動を始め、その後浜松町のホテルや他道場を借りながら運営し、最終的に2010年、今の北区の田端に道場を構えました。

箝口令が解かれたその時

では自分の一族が忍者の家系であると確信したのはいつなのでしょう?

朱雀: アーバン忍者東京を立ち上げてしばらくしたクリスマスの日、父や母と一緒に協会に行きました。その時、たまたま何の気なしに父に質問したのです。 「そういえば、お爺さんはなぜクリスチャンになったの?」 と。

その回答を聞き、衝撃の事実が発覚しました。

そこから、忍びの一族としての「武蔵一族」という由緒ある名前を使って、私が頭首として忍びの本質を世に広めていかねばならないことを強く感じたのです。

江戸隠密 武蔵一族 18代頭首「柴田バネッサ朱雀」|Nin-terview #001(2/2)

忍者の家系であることを半身半疑のまま通訳として生きていたが、導かれるように忍者への道に入った柴田バネッサ朱雀様。 朱雀はある日、父よりお爺様の衝撃な事実を聞く事となります。第2巻はこちら。