江戸の町に眠る ”神になった忍者” 「 高坂甚内」とは?史跡紹介も
忍者も神様に!日本の八百万(やおよろず)精神 身の回りのあらゆる物や事象に神が宿るとされてきた不思議な島国 NIPPON。 天候も災害も物、ひいては死んだ人もすべて神様として崇め奉っていた八百万の国です。 その昔、非常に学問・政治に長けていた菅原道真の死後は、”学問の神様”として太宰府に祀られていますよね。 こうやって、日本人は故人を祀り、そのご利益にあやかろうとお参りなどをしてきました。 しかし、まさか忍者が神として祀られている神社が東京にあるのをご存知でしたでしょうか? “激レア忍者神社”と祀られている忍者について紐解きます。
武田家の忍びとして育ったエリート忍者 “高坂甚内“

風魔との戦い! そして神になった生涯
時を同じくして、同じように滅亡した北条家のお抱え忍び・風魔小太郎率いる風魔衆も江戸にて賊を働くようになります。 このため、高坂と風魔の縄張り争いが勃発しました。 高坂甚内と風魔小太郎が創作などでライバルとして取り扱われるのは、武田vs北条以外にもこのような背景が絡んでいたからでしょう。 ついにこれら賊の悪事にこらえきれなくなった幕府側は、連絡をくれた者の過去の罪は一切問わないことを条件として賊に懸賞金をかけました。 高坂甚内は、自分のやったことを棚に上げてすべて風魔衆に罪をなすりつけ、幕府側に風魔衆の棲み家を案内します。 風魔小太郎を含むあらゆる風魔衆を捕縛させました。 これによって、風魔衆は江戸の町から消え去ったため、江戸における盗賊は高坂甚内の独壇場になり、高坂甚内はまたも江戸で賊行為をやりたい放題となります。 そんな中、賊仲間であった “鳶沢甚内” という者に裏切られ、高坂甚内は幕府に追われることとなります。 なんと、この鳶沢甚内は、元風魔衆の一味でした。 裏の裏をかくだまし合い、緊迫しますね。 幕府に追われる頃、高坂甚内は瘧(おこり。マラリアのこと)を煩っていて、瘧が原因で逃げることができず捕まってしまいました。 高坂甚内は、市中引き回しの上、隅田川の分流として流れていた鳥越川にかかる橋を渡って、今の浅草にある「鳥越」という刑場にひっぱっていかれます。 この刑場にて処刑される際、高坂甚内はこう言いました。ワシが捕まったのは瘧にかかったからじゃ。 ワシが死んだ後、ワシを祀るがよい。 瘧のある者はワシのところへ来ればきっと治してやろうぞ!こうして高坂甚内は露と消え、その遺言どおり祀られることとなり、民衆の信仰を集めたのです。
現代にひっそりと伝わる甚内神社
このことから、処刑のために高坂甚内が渡った橋を”甚内橋“といい、その後祀られた神社を”甚内神社“といいます。 今でも浅草橋三丁目には甚内神社がひっそりと、陣内橋跡の石碑がほっそりと佇んでいます。布団屋さんの橋にひっそりとある甚内橋跡

マラリアに効くとされる甚内神社
