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【Nin-TV】真田昌幸に裏切られる「滝川一益」も元は甲賀忍者?

【Nin-TV】真田昌幸に裏切られる「滝川一益」も元は甲賀忍者?

織田家重臣「滝川一益」

大河ドラマ「真田丸」にて、武田滅亡後に真田昌幸の上司となった滝川一益

段田安則さん演じる織田家の重臣ですが、本能寺の変のあとから一気にその勢力の雲行きが怪しくなっていきます。

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第7話では遂に清州会議に間に合わずに今後の出世街道から外されてしまった一益。

真田丸では命運が尽きていくところから描かれているのですが、信長全盛期のときには相当な手練れでした。

幼い頃に信長の小姓となり、入って間もなく盆踊りの餓鬼役を務めたのが「滝川左近衆」とあることから、小さい頃からすぐにひとつのチームを束ねるリーダーの格を得ていたほど優秀な者でした。

その後織田家内でも「先を駆くも滝川、また殿も滝川」とまで言われるほどの勇猛果敢な戦いぶりでみるみる頭角を表していき、「織田四天王」にまで上り詰めた一益ですが、彼が織田家に入るまでは何をしていたのでしょうか?

実は甲賀出身の忍者だった?

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実はこの滝川一益は甲賀出身の忍者だったという説があります。

甲賀に所在していた滝川城

この滝川城で育ち、甲賀の地で鉄砲の術を学び、その鉄砲の腕を買われて織田家に入ったようです。

そう、滝川一益は甲賀五十三家の伴家(もしくは滝(多喜)家ともいわれる)の血筋であり、れっきとした忍びの一族だったのです。

織田家が1570年に六角氏を討伐のために起こした野洲川の戦い。

このときに、滝川一益は織田側でこの滝川城を攻め、甲賀武士たちを相手に戦いました。

そのときの甲賀武士の死傷者は約800名

一益にとっては故郷を攻める戦いだったわけですから、胸がかなり傷んだことでしょう。

滝川城址の立て看板には以下のような記述が残っています。

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滝川一益が居城したことから滝川城と呼ばれ、またこの地の名称から五反田城とも伝えられます。滝川一益は甲賀大原庄に生まれ、16才まで在住した後、織田信長の配下に加わりました。石山本願寺攻めや伊勢長島一揆鎮圧などに武勇を上げ、信長四天王のひとりとして数えられました。後には関東一円を支配する管領となりますが、元亀元年(1570年)に信長の近江守護六角氏追討と六角氏支援の甲賀武士を攻める大将とされ、故郷の親類・同胞を攻めることとなり、戦国時代の世の下克上と悲話を物語る城跡です。 <甲賀町教育委員会>

一説によるとこの滝川城を攻める戦いの後、滝川氏は当時の甲賀における民間自治組織「大原同名中惣」から名前を抹消されたとか。

生き延びるためだとはいえ、故郷の一族の顔に泥を塗ってしまった一益。

まさに悪ガキですね。

小さい頃から彼はずっと悪ガキだったのです。

甲賀時代の残虐な悪餓鬼エピソード

16歳ごろまで甲賀の地で育った滝川一益。

彼の悪ガキぶりを表すエピソードが残っています。

一益は幼き頃から鉄砲の鍛錬を欠かさずにいたほどの鉄砲の名手。

火薬の町・甲賀ですから練習のための材料はたーんと揃っていたことでしょう。

しかし、一益は何があったのか河内国(今の大阪)のあたりで一族のある人を殺してしまったようなのです。

ターゲットは高安某(なにがし)さん、または伊藤内蔵(くら)さん。

殺してしまった理由は不明なのですが、諸書によるとその暗殺方法がとても忍者っぽいのです。

anasatsu一益はそのターゲットとなる高安さんだか伊藤さんがよく神社に参拝していることを知っていました。

あとをこっそりつけていき、そのやり方をじっくり観察する一益。

するとかならず毎回ある場所に座って参拝していることに気がつきます。

一益はその日の夜のうちに、ターゲットが座る場所に近い柱に銃口が通るくらいの穴を空けました。

そして、次の日、事件は起こったのです。

一益はその柱の裏に隠れて、空けた穴から銃口を入れ、ターゲットを射殺してしまったのでした。

この推理モノのメガネの子供が解決しそうな簡単な殺人トリックですが、犯人の動機が知りたいところですね。

忍者が暗殺をするために絶対必要だった観察力事前準備実行力

この3つを兼ね備えた滝川一益は忍者と言っても間違いないでしょう!

参考文献・参考サイト

 決定版「図説『忍者と忍術』〜忍器・奥義・秘伝集 〜」(歴史群像シリーズ特別編集)
 近江の城郭

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