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【Nin-Betsucho】真田忍軍「唐沢玄蕃」〜真田家随一の忍術名人〜

【Nin-Betsucho】真田忍軍「唐沢玄蕃」〜真田家随一の忍術名人〜

真田家に仕えたエリート忍者「唐沢玄蕃」

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真田忍軍の解説特集連載第2回目は、真田忍軍のヒーロー「唐沢玄蕃」です。

真田昌幸・信之に仕えた唐沢玄蕃は幼名を「於猿(おさる)」といいました。

彼らが真田家に仕えた経緯、真田家の元で活躍した忍者としての戦いをご紹介します!

父「杢之助」から真田家に仕えた唐沢家

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まずご紹介するのは唐沢玄蕃の父である「杢之助(もくのすけ)」

杢之助はもとは越後上杉謙信方の武将・斎藤家の家老であった「富沢基幸」の三男として生まれました。

富沢基幸が杢之助を授かったのがもうヨボヨボのお爺ちゃんになってからだったので、斎藤憲次より

斎藤憲次「この子は老後に授かった子だから、富沢の家に新たに子が生まれることももうないでしょ。富沢の”沢”の水もこの子で留まることになるだろうから、沢に水が無ければ「からさわ(枯れ沢)」ってことで苗字を「唐沢」にしちゃおうぜ!」

と言われて、富沢家の分家として唐沢家が起こったといわれています。

ということで唐沢の杢之助は、元は上杉方の家臣だったのです。

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斎藤家の元で岩櫃付近を守っていたとき、真田幸隆が武田信玄の命を受けて岩櫃城に総攻撃を仕掛けます。

真田幸隆の謀略はこの頃からハンパなく、岩櫃城を守る斎藤家の重臣たちが寝返り、岩櫃城は落城してしまいました。

この時杢之助も真田方につき、その息子・後に唐沢玄蓄を名乗る於猿は武田家に人質として差し出され、吾妻の地中之条町付近で修験の修行に励みながら育ちます。

杢之助は岩櫃城の攻城戦の折に、真田幸隆のもとへ妻とまだ幼い於猿を連れて謁見した記録も残っているようです。

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しかし、1565年に幸隆が北条方の守る嵩山城を攻略する際、杢之助は大手口を守っていた強敵・早川源蔵と死闘の末に討ち死にしてしまいます。

その翌年、武田信玄は杢之助の奮迅の働きに対して感状をしたためて於猿に与えました

こうして杢之助から唐沢家を継いだ於猿は「唐沢玄蕃」と名乗り、真田家に引き続き忠義を尽くしていくのです。

“飛び六法”の唐沢玄蕃「於猿」

父・杢之助の死によって唐沢玄蕃となった於猿。

修験道の修行で会得した技を駆使して、幸隆・昌幸に仕え、「忍びの名人」として活躍しました。

「飛び六法」と呼ばれる忍術を駆使し、助走もしないで約1.8mの高さを飛び上がったり、幅跳びでは約3.6mを飛び越えるだけでなく、約12mの高さから楽々と着地の音も立てずに飛び降りることができたようです。

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すげぇ…唐沢先輩、すげえっす。

於猿と呼ばれていただけあって、山の中で相当訓練したのでしょうね!

尻高城を火計で大混乱に

1573年(天正元年)、真田昌幸は上杉方の長尾氏に属している中山城尻高城の攻略ができず悩んでいました。

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そこで昌幸は唐沢玄蕃を呼びつけ、尻高城を焼き落とすよう命じます。

命令を受けた唐沢玄蕃は、同じく吾妻七騎の盟友である割田重勝の一族「割田新兵衛」と相談し、尻高城に忍び込んであらゆる箇所に放火をして、悠々と引き上げます。

これにより敵方の長尾氏は大混乱!

玄蕃の活躍により尻高城は陥落し、昌幸は尻高城を攻略するに至りました。

中山城から奪った金の馬鎧

無事に尻高城を火計により落とした玄蕃でしたが、次は最難関の中山城。

放火のために、唐沢玄蕃は大胆にも一人で中山城へ潜入します。

すると中山城は宴の真っ最中で、城主の中山安芸守が鼓を打っているところでした。

あまりにヘタクソ過ぎて100回打っても1度すら音が出ないご様子。

唐沢玄蕃はヘタクソな鼓の音色を聴きながら深夜になるまでじっと待機し、寝静まった頃を見計らって放火しようと場内を探索しました。

するととある部屋に絢爛に輝く金の馬鎧があるではないですか!

umaabumi写真はイメージです。

この金の馬鎧は中山安芸守が、関東管領の上杉憲政から拝領した貴重なものでした。

唐沢玄蕃「こんな立派な馬鎧、鼓がヘタクソな中山安芸守が持っているのはもったいない!」

と唐沢玄蕃は放火するのを止め、金の馬鎧を持ち出して岩櫃城へと戻ったのでした。

あるとき、たまたま岩櫃城に来ていた武田信玄が唐沢玄蕃の持っていた金の馬鎧を目に付け、昌幸の兄である信綱に声をかけました。

武田信玄「これは珍しい馬鎧、千年信州松山合戦の時に見た馬鎧だな。奴何者じゃ?」

真田信綱「はっ、あれは唐沢玄蕃という男にございます。中山城から盗んで参ったとの由。」

武田信玄「おぉ、あの杢之助の息子か。大きくなったのぉ。」

唐沢玄蕃は思わぬところで名を上げ、武田家の中でもその忍者の技能が認められるようになりました。

唐沢玄蕃はスキルだけでなく、運も強い男だったのでしょうね。

でも唐沢玄蕃がすごいのは馬の鎧を盗むだけじゃありません

手に入れた馬鎧を活用して、別の戦において忍者の風上に置くべき騙し討ちを見事に行って、真田家を勝利に導いたのです。

手古丸城を巡った北条戦の際金の馬鎧を身につけ出陣したことから、敵はみな「こんな豪華な馬に乗っているということはこいつが大将に違いない!」と勘違いして唐沢玄蕃を追いかけました。

この唐沢玄蕃の陽動作戦の隙に本体の真田信之軍や出浦昌相が本陣へ突入し、見事手古丸城を落としたのです。

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ただ馬鎧を盗むだけでなく、そのアイテムを次の戦へ利用する姿勢は忍びとして大変優秀だったといえますね。

この手古丸城をめぐる戦では出浦昌相・唐沢玄蕃・割田重勝などの忍者が活躍した総力戦であり大変面白い戦ですので、真田忍軍シリーズ連載の中で別記事にて紹介したいと思います!

横尾村に眠る玄蕃のお墓

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真田忍軍のエリート忍者・唐沢玄蕃先輩は今も吾妻の地で眠っています。

中之条駅から歩いて2kmくらいの田園の中にひっそりと佇んでいるのが唐沢玄蕃のお墓です。

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お墓の側面には「唐沢玄蕃」の字が!

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没年が合わないのでおそらくお墓ではなく子孫が立てた供養塔だと思うのですが、教育委員会からはお墓と紹介されているからいいのかもしれません。

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この辺りを散策すると、唐沢家の墓が何百も建っていました

唐沢先輩のお墓まいりしたい忍者達が迷わないように、一応看板が出ているのですが周りに唐沢家のお墓が多すぎてNinjackはかなり迷いました(忍者失格です笑)

地図的には↓この辺ですのでご参考にされてください。

きっとこの辺りに忍びのエリートの血を引いた方々が、今でもたくさん住んでいらっしゃるのでしょうね。

口伝などで伝わっている唐沢玄蕃先輩の逸話や、その後の子孫の方の忍者活動なんかを知っている方がいらっしゃったら是非お話を聞いてみたいところです。

そして近くには割田下総守重勝のお墓も建っています。

伊賀や甲賀だけでなく、群馬にこれだけ忍者の聖地があるとは思いもよりませんでしたよね。。

今大変アツく注目すべき中之条に生きた忍者達。

さて、次回は割田下総守重勝についての解説をいたしますのでお楽しみに!

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