荻窪に忍者はいたか論争に終止符?「荻窪忍者暗渠ナイト」潜入レポート!

荻窪に忍者いたかいないか論争が勃発!?

荻窪に忍者はいたか?

なんというか非常に限定的でマニアックな問題提起ですが、半年ほど前の1件のこんなTweetから注目されはじめた本件。

このツイート主は暗渠業界では大変有名な吉村生さん。

その後も荻窪に忍者いたんじゃないか説について、様々な証拠を提示しながら間髪入れずにつぶやいていきます。

これに対してあの信長の忍びアニメ監督・大地丙太郎さんが謝罪する事態に…!

https://twitter.com/akitaroh/status/973827756474753024?ref_src=twsrc%5Etfw

窪があったら入りたいってさすが天才…笑

そしてこれを見た江戸の伊賀者に詳しい忍者研究家・忍びの館の管理忍さんまで調査に乗り出すという始末!

荻窪の忍者を巡って激しいムーブメントが…なんなんだこの流れは!笑

と見守っていたところ、どうやらこの説に決着をつけてやろうということで、2018年8月11日(土)に「荻窪暗渠忍者ナイト」なる催しが行われたのです。

なぜ暗渠…

こんなカオスなイベント、行かないわけには行きません。

ということで荻窪忍者暗渠ナイトに潜入して、その結末を見守って参りましたのでレポートしたいと思います!

そもそも暗渠ってナニ!?(高山英男)

暗渠(あんきょ)なんて言葉、日常生活ではなかなか聞き慣れない人のために、暗渠ハンターの高山英男さんが丁寧に解説してくださいます。

暗渠とは「消えてしまった水路のこと」をいい、広く捉えて「川や水路の跡全般」を暗渠と定義しているのだそう。

暗渠というのは原始から続く清らかな水の流れが確かに存在していたのに、それが時を経るに連れて蓋をされてしまったもの。

だがそこには確かに清らかな流れが存在していたし、目には見えなくても今も確かに僕らの足の下に存在して流れているものなのです。

高山さんは、人は誰でも心の中に暗渠を抱えている…のだと言います。

人間も時を経ると社会に揉まれて本音や想いを隠して生きがちですが、あなたも実は心の奥底に死なずに今も流れているアツい想い、即ち「暗渠」を持っているのではないでしょうか?

暗渠深い…ってか暗渠の存在、なんか忍者の存在と似ている気がしてくる…!

そして街あるきの市場変化としても、楽しむ→学ぶ→発見するという流れに変わってきているのだと言います。

これも今の忍者業界の流れと一緒だ…!

暗渠と忍者の意外な共通点の可能性を気づかせていただいたところで、忍者・暗渠についてどっぷりとセッションを聞いていくこととなりました。

ちなみに今回はこの荻窪に忍者がいたかいなかったかをAIにて自動的に判定する装置「荻窪忍者センサー」が勝敗を決めてくれるのだそうです。

なんかすごく怪しい…笑

暗渠と忍者(吉村生)

お次はお美しい方なのに、まるで暗渠のように顔出しNGな吉村生さんのセッション。

暗渠と忍者に関する関係性を論理的に掘り下げて、荻窪に忍者がいた派に立ってお話していきます。

まず東京都内(江戸城周辺)に忍者がいたとされた地。

これは幕府から伊賀の忍び達に知行として配られた伊賀者の給地のことを指します。

服部半蔵の墓がある四谷・「君の名は」の聖地にもなっている須賀など、伊賀者の給地であった部分を全てプロットしてみると、なんとすべて鮫ケ谷という谷底に位置されていたことが発見されました。

谷底にはもちろん水の流れがあり、伊賀者給地の近くには必ずと行っていいほど暗渠の存在があったと指摘する吉村さん。

伊賀忍者がいた地域には暗渠がある 
= 暗渠がある所には伊賀忍者がいる

というロジックを前提としながら荻窪に目を移した時、そこには善福寺川という川が存在するではありませんか…!

しかもその川にかかる橋の名前は「”忍”川橋」…!

極めつけは、その昔荻窪には忍者屋敷(という名の料理店)があったのだとか!

これはもう…忍者いたんじゃね…!?

自動AIセンサー「荻窪忍者センサー」も、忍者がいたほうにかなり振れているようです…!

AIの中の人が一生懸命竹ひご動かしている…笑

古老に聞く荻窪忍者伝説(野田栄一)

お次に登壇されたのは杉並区の郷土史家・野田栄一さん。

「郷土史家は常にロマンを求める生き物」と前置きした上で、荻窪に忍者がいたことを古人から語り継がれる地域伝承から紐解いていきます。

杉並に伝わる資料から見るに、まず荻窪の付近は「忍ケ谷戸」や「忍川橋」など“忍”とつく名前が複数存在していること。

そして江戸時代の初期に荻窪東部は服部半蔵、西部は伊賀同心の知行地となったことを挙げて、荻窪に忍者がいたのではないか説を唱えます。

何より気になったのは、「半蔵は忍ケ谷戸の百姓へ、雨が三粒でも降ったら仕事をやめてバクチを打てと奨励」していたという記述。

雨三粒でバクチやれってなんと神のような領主様なんだ!笑

とにかく「郷土史家はロマンを感じてナンボなんだ!忍者がいたという夢を見させてくれ!」と一貫する野田さんのロマンあふれるトークが大好きでした!

このとき既に荻窪忍者センサーはほぼMAXで「荻窪に忍者はいた」方向に振り切れています!

このまま荻窪に忍者はいたことになるのでしょうか?

忍者否定のヒールが現る…(駒見敬祐)

続いて現れたのは杉並区郷土博物館学芸員の駒見敬祐さん。

歴史学のプロフェッショナルなお方が現れましたが、駒見さんの「荻窪に忍者はいたか?」に対する立場は…

うわあぁぁーー!バッサリ切ってきたー!!

「今回はヒール役に徹します」と言い放った駒見さんは、まず史料的根拠が乏しいことを指摘。

「新編武蔵国風土記」に伊賀の者50人の給地になったことは書かれているものの、「給地」とは主君が支配権を与えた土地のことであり、そこに住んでいる農民から年貢をもらうことを許されているもの。

つまり、必ずしも給地といえどもそこに住んでいたことの証明にはならないのです。

そしてこれまでの登壇者が話していた「”忍”の字が地名にある」ということは、必ずしも忍者がいたからその字がついたというわけでもなく、荻窪の忍ケ谷戸や忍川についても、忍者がいたことで名前がついたという根拠史料はなかったようです。

その他にも、伝承がどのように作られていきどれだけ信用出来ないものか、どれだけ結果ありきの願望により歴史に関する俗説が作られていく例が多いかを淡々とクールに説いていき、会場の中は

うーん…もしかしたら荻窪の忍者説も願望から無理やりこじつけて出てきた説なのかもしれない…

という空気が蔓延してきました…。

荻窪忍者センサーも、忍者がいないという判定に段々と侵食されてきています!

忍者研究的にはどっちなのか!?(井上直哉)

そして最後に現れたのは忍びの館の管理忍・井上直哉さん。

国際忍者学会の役員もされている若き忍者研究者は、これをどのように料理してくださるのでしょうか…!?

まずは伊賀者を知らない方達のために、伊賀者とはどんな人達なのかを丁寧に解説してくれます。

伊賀者というのは江戸初期の方は伊賀出身者であったけれど、その後警備などの役目を務める役職名として「伊賀者」と呼ばれるようになったため、必ずしも伊賀者は伊賀出身者であるというわけではなく、例えば栃木出身の伊賀者というケースもあるのだそうです。

そして宝暦8年(1758)付近の石高帳によると、荻窪の地はとある伊賀者「鵜飼佐市郎」の知行地であったよう。

こ、これはもしかしたら…

この鵜飼佐市郎は江戸幕府の役人の経歴リストである「寛政重修諸家譜」に載っている「政福」と同一人物のようですが、五代前まで遡った永禄11年は1568年でちょうど戦国時代。

その頃から御広敷伊賀者となって、ずっと相続しているということは、この荻窪を知行地としていた鵜飼さんは伊賀者出身者なのでは…!?

ヒール役の駒見さんも「確かに時代が合いますね。初めて知りました。」と納得の様子。

うおー!!キター!荻窪をれっきとした忍者の家系の人が治めてたのかーー!!!

ここで会場もすごく盛り上がりました!

・・・が!

井上さんが言うには、伊賀出身の伊賀者が連名で書いたはずの由緒書の中には「鵜飼」の字が1つも出てこないのだそうです。

伊賀出身であれば絶対書いてあるはずなのに、書いていないのはおかしいので、伊賀出身ではなくもしかしたら役職名で途中から伊賀者になった方のタイプだったかもしれないとのこと。

会場からは残念無念のため息が響き渡りました。

結論としては、荻窪が(伊賀出身かどうかは別として)伊賀者の知行地であったことは間違いないが、住んでいたかどうかはやっぱりわからない、ということになりそうです。

この時点で荻窪忍者メーターは半々という形で、各セッションは終了することとなりました!!

荻窪に忍者はいたかの講評(大地丙太郎)

最後の最後に、杉並区在住の大地丙太郎監督が今回の議論について講評を行います。

伊賀者の知行地と聞くと「忍者がうじゃうじゃ住んでいた」という錯覚を起こしがちであったが、みなさんのお話で必ずしもそうではないというのがすごく良くわかったのと、服部半蔵が荻窪いなかったのは納得したので諦めます、と大地監督。

歴史の掘り下げとロマンの探求のバランスがとてもよく大変楽しい会でしたね、と会を締めくくりました。

そしてラストにクロージングとしてカワイイ荻窪忍者のアニメーションをご用意してくださいました!

ということで一旦は終了したこの会でしたが、個人的には「知行地として与えられた土地に絶対に住んでなかった」とは言い切れないのではないかなぁと思ったり、でもそれを証明する史料はなさそうだなと思ったり。

少しの期間だけでも伊賀者が住んでいたりする可能性もあるのではないか…という忍者ロマンに浸りながら、まったく縁もゆかりもない荻窪を後にしました。

暗渠と忍者と荻窪。

こんなにもかけ離れた3つの要素が一度に集まり、様々な化学反応を起こした大変素敵な夜でした。

また別の地域でも忍者暗渠ナイトはやってほしいですね!

なんだか暗渠が気になってきた方は、吉村さんと高山さんの共著「暗渠マニアック」がオススメです!

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