武将の配下ではなく個人として忍者をアピールする時代 〜甲賀忍者「黒影」〜|Nin-terview #032

キャンペーン忍者として車の広告塔になった忍者がいました。

その名も甲賀忍者・黒影さん。「忍者は目立ってはいけない」という大前提にあえて立ち向かっていくスタイルを突き詰めていらっしゃる忍者です。

独自の忍者スタイルを追求して行く現代の忍者に直撃インタビューしてみました。そこから見えてくる現代の新しい忍者スタイルとは。

すべての忍者をJackするNinjackの特別インタビュー第34弾です!

甲賀でバイトするならコンビニか忍術村

黒影さん毎度どうもです!

黒影:  あ〜Jackさんこんにちは。いつもお世話になってます。

甲賀忍者の黒影さん、やはり出身は甲賀なのですか?

黒影:  そうです。滋賀県甲賀市甲賀町の山しかないところで育ちました。小さい頃は山の中を駆け回ったり、川で遊んだりという生活でしたね。

小さい頃から忍者に興味があったのでしょうか?

黒影:  小学校高学年くらいのときに、カクレンジャーを見ていたのでそこで忍者にはハマった気がします。同時期から見ていた大河ドラマがずっと好きで、忍者だけでなく歴史全般が好きな子どもでしたね。独眼竜政宗にはとても感銘を受けました。自分の家から歩いて5分くらいの所に滝川城があったんですよ。滝川一益が住んでいたお城です。甲賀出身であることから彼も忍者と言われることが多いですよね。

いやぁ甲賀出身て羨ましいですよー。ってなると甲賀の忍術村も近そうですよね?

黒影:  忍術村はチャリで15分くらいの場所にありました。高校生の夏休みに、甲賀の里忍術村でアルバイトをはじめました。甲賀は田舎なのでアルバイトをするにも選択肢が少なくて…やるとすればコンビニか忍術村しかなかったんです。コンビニは興味ないし歴史好きだったので、忍術村を選びました。その時は貯めたお金でスーパーファミコンを買おう!と意気込んでやっていましたね。もちろん忍者もやりたかったですが。

ってかコンビニか忍術村しかないって忍者ファンからすると贅沢ですw 周りのクラスの人はどちらかに分かれたのですか?

黒影:  周りの友達はほとんどコンビニを選びましたね(笑)。忍者衣装なんて恥ずかしいと思われてたのか「ようそんなん着るわー」って言われてました。最初は全く忍者関係ないバーベキューの準備係をやらされたりするのですが、自分は忍者がやりたかったので、無理を言って忍者役をやらせてもらっていました。他のアルバイトの人は顔を出しているのに自分だけ覆面をつけてたりとなりきってましたね。

子供達に教えるちびっこ忍者道場で子供に忍術教えたりなどさせてもらっていました。当時はすごく子供のリピーターがいて「ぼく3回目やねん!」って言いながらやってくるのですが、「そんな来んでええわ!」とか言いながら和気あいあいやっていたと思います。

ちなみにその時の時給って…

黒影:  忍術村の時給は550円でした!

甲賀忍者ってかなり薄給だったんですね!

大木雅之助さんに怒られた日々

忍術村で働いていたのは何年前くらいの話でしょう?

黒影: もう25年前くらいになりますかね。今でも甲賀忍術村では全日本選手権大会というのをやっていますが、当時、その大会の各種目のデモンストレーションをやっていたのは僕でした。くノ一コンテストのときは今はないですが水着審査がありましたね。コンテストの殺陣はくノ一の相手をしていた記憶があります。楽しい高校3年間でしたねぇ。

ってか25年も前となると、その頃ってもしかしてあの落第忍者乱太郎で出てくる大木雅之助のモデルになった方もいらっしゃったのでは!?どこんじょーの!

黒影:  大木さんは会計とかレジ閉めたりしてましたね。当時30代くらいだった気がします。今は確か尼子騒兵衛先生のマネージャーをされていらっしゃいますよね。忍術村で一緒に働いていた頃、先輩と休憩中にバーベキュー場の商品の肉を食っていたら「お前らもう二度と肉食うな!」って結構な剣幕で怒られました(笑)

まさに「どこんじょー」ですね!忍術村のバイトで得たものはありましたでしょうか?

黒影:  ずっとテレビに出たいと思っていた夢が叶いましたね。当時の忍術村は結構TV取材が入ってまして、バク転をやる忍者はいたのですが、武器をやる忍者がいなかったんです。「ヌンチャクができるようになったらテレビ出してください!」と村長の柚木さんにお願いしていました。

プラスチックのヌンチャクを買おうと思って大木さんにどれがいいかを相談したら「プラスチックじゃ軽いから本物の木でやれ!」と言われて、木のヌンチャクを夢中で練習しました。村長からOKをもらい、ルー大柴が出てたNHKの番組に出させてもらったんですよ。世界仰天ニュースのロケなども村長と出ましたね。それがきっかけで筋肉番付(サスケ)にも出させてもらいました。

黒影さんってもしかして目立ちたがりですか…?笑

黒影:  そうかもしれません。この長身を活かしてその後は5年前までモデルの仕事をメインにやっていました。スチールではなくファッションショーがメインだったので、主にランウェイを歩いていて、スクールでウォーキングなども教えていましたね。今も現役ではあるのですが、メインは伊賀で自動車関連の仕事をしています。

個人忍者として広告塔に抜擢!

黒影さんの今のメインの忍者活動について教えてください。

黒影:  伊賀之忍砦愛知忍者連盟ですね。伊賀之忍砦では副組頭です。それまではずっとピンでやっていて、地元で子供達に呼ばれて忍者教室やったりなどをたまにしておりました。その時は特に黒影という名前もなく、衣装も普通の黒い衣装でしたね。

今のスタイルになったのはどういうきっかけで…?

黒影:  お城が好きで、犬山城で行われる武将パレードを見に行ったんです。その時上から降りてきた忍者がいたんですよ。その時声をかけたのがドラゴン・ジョー(今の名前は條さん)でした。そこでお話して愛知忍者連盟に所属させてもらったんです。

その後の愛知忍者連盟での初任務が、清洲城で桜華組が解散するときのイベントだったのですが、ステージで紹介されるということで名前をつけてくれと言われたんですよね。その時に今の羽織と黒影という名前を作りました。面頰や脛当てなど、金と黒でトータルコーディネートしましたね。

今のスタイルは愛知忍者連盟に入ってからだったんですね!

黒影:  愛知の忍者はみんな派手好きだったので自分も負けていられないと、自分がカッコいい!と思うものをデザインして、モデル時代に知り合った服飾デザイナーの子に作ってもらったんです。ガンダムも好きだったので肩はシャアのコスチュームみたいな感じにして。背が高いので陣羽織はロングコート風にしたら面白いかなと、いろいろと考えて自分の中で至高のコスチュームを完成させました。その後、伊賀之忍砦にも属して、伊賀に引っ越して忍者活動を行なっています。

それでできたコスチュームが目を引いて、みのり産業の甲賀ブランド「黒影米」の広告塔になりましたよね。

黒影:  甲賀忍者検定などに参加している中で、黒影米をつくっているみのり産業の社長に会うことになり、「ポスターを作りたい」という話になったんです。そのとき自分の衣装を気に入ってくれて、同じ名前だったこともありモデルに起用していただきました。その際に衣装も新調して、もっと黒×金にしましたね。このポスターは滋賀県庁に飾ってあるらしく、たまに甲賀で「ポスターの忍者さんや!」って言われるようになりました(笑)

ほんとカッコいい忍者だな、っていつも思うのですが、黒影さんが忍び装束に大事にしていることってなんなんでしょう?

黒影:  外国人の忍者のイメージってヒーローだと考えている人もいると思うんです。今を生きる忍者って、真っ黒な衣装でいてても見てくれないじゃないですか。たまの忍者イベントでお客さんが衣装を来たときに、スタッフ側が全く同じじゃつまらない。武将の配下じゃなくて、個人として今を生きる忍者のスタイルというのを打ち出したかったんです。それを具現化したのが今の衣装だったんですよね。とにかく自分がカッコいいと思える忍者衣装を作って着たかったんです。

いるだけで喜ばれる忍者スタイル

でもいろんなイベント見てて思いますが、お客さんに「一緒に写真撮ってください」って一番言われるのって確かに黒影さんな気がします

黒影: 自分がカッコいいかなと思っているものを、みんなもカッコいいと思ってくれるのはとても嬉しいですね。殺陣とか武道とか研究者など忍者への携わり方はいろいろありますが、自分だからこそできることがあると思ってやっています。動きができなくてもこの格好でそこにいるだけで人々が喜んでくれる、なんだか特殊なジャンルだなとは思いますね。

人によっては何もできないのに忍者だなんて…と言われることもあります。でも現にそうやって活動してきたことで、それを見ていた後輩から声がかかって、Gloss Magicのモデルにも起用されました。たまにダース・ベイダーとかも言われますが、一応みんな忍者だって認識してくれています。今は忍者業界の中では派手かもしれないですが、目立つ衣装にしておいた方が認識してもらえて、カッコいいと興味を持ってもらえるんだと思うのです。とにかく忍者に関心が集まるように意識しています。

忍者なのにいかに目立つかを語るインタビューって面白いですねw でも、そうなんです。忍者としては逆説的なんですけど、これが現代忍者の1つの新しい形なのかなって思ったりすることもあります。

黒影:  昔は売れて有名になりたいと思ってたこともありましたが、食えないということがわかったこともあり、普通の仕事もしています。でも捨てられなかった唯一残ったもの。それがこのスタイルの忍者でした。自分が忍者をやっていて最高に楽しいのは、人に見られている快感があるのだと思います。普段の生活では経験できないこと。これは仕事の会社と往復では味わえないものです。

年配の方は「忍者ちゃうわー」と言うかもしれないけど、子供がかっこいいって思ってくれて、年を取ったときにかっこよかったな、とか、忍者に少しでも興味持ってくれればと思うんです。そのためにはやはり衣装は派手な方がいいと考えています。

忍者の入口として興味を持ってもらわないと増えませんものね。黒影さんは忍者界の広告塔ですね!笑

黒影:  それは言い過ぎです(笑)自分が率先してみんなを引っ張って行っているというわけじゃなくて、自分がやりたいことをやっているだけですからね。好きなことを細く長くやりたいだけ。何かをはじめても続ける方が難しい。僕は仲間に恵まれたり、応援してくれる人の支えがあったから楽しくやれてるんだと思います。今後はそんな仲間がたくさん集まる伊賀之忍砦を覚えてもらって、忍者好きがたくさん集まってくるといいなと思います。

黒影にとっての忍者

黒影さんにとって忍者とはなんでしょうか?

黒影:  自分のライフスタイルです。さらにいうならもう一つの自分の顔ですね。

読者にひとことお願いします!

黒影:  日本全国いろいろ行かせて行かせていただいてますが、このスタイルでおりますので、どこかでお会いしたら声かけてください。お子さんにはよく泣かれますが、全然怖くないですよ!また、忍者がパーソナリティを務めるラジオ番組「忍法ハロハロNight」も大好評オンエア中ですので、ぜひ聞いてみてください!

編集後記

ほんとに間近で見るとすごい威圧感と圧倒的なかっこよさに惚れ惚れとしてしまう黒影さんの忍び装束。

決して機敏な動きをするでもなく、寡黙なのですが、その佇まいだけでお子さんにも大人気。いるだけでカッコいい忍者って、全く新しい忍者の形なんじゃないかと思うんですよね。

最近はこういう忍者が増えてきている気がしていますが、入り口としてはおそらくすごく入りやすい忍者の形だと思います。

まずは忍者イベントで黒影さんにあったら、一緒に写真をとってみてください!

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