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【Nin-terview #009(1/2)】中野学校情報戦士たちの挽歌 著者「蒲生猛」にインタビュー!

【Nin-terview #009(1/2)】中野学校情報戦士たちの挽歌 著者「蒲生猛」にインタビュー!




中野学校情報戦士たちの挽歌の著者「蒲生猛」にインタビュー!

先日ご紹介した忍者の哲学小説とも言える「中野学校情報戦士たちの挽歌-真田忍者の系譜-」。

この本の作者は情報ネットワーク論を長年研究している蒲生猛さんです。

忍者の歴史研究とは違って斬新なのは、忍者の位置付けを情報ネットワークの観点から紐解こうとされる姿勢。

あくまで情報ネットワーク社会を構成する上での忍者の役割やその役割の過酷さ、そんな忍者の想いを描いた書籍の内容などについて、ロングインタビューをさせていただきました。

歴史学や科学からではなく、情報ネットワークの観点から見えてくる忍者とは。

すべてのNINJAをJackするNinjack.jpがお届けする忍者深掘りインタビュー第9弾その1です。

IT企業に勤めながら「情報ネットワーク論」研究をライフワークに

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Ninjack編集忍

ご多忙の中お時間いただきありがとうございます!蒲生先生は昔から忍者はお好きだったのですか?

蒲生猛 私のような団塊の世代の男性はみんな大好きなんじゃないですかね。子どもの頃は「伊賀の影丸」に夢中になって、みんな手裏剣などで忍者ごっこをやっていました。社会人になってからたまたま飲み屋で横山三輝先生にお会いする機会が何度かあり、いろんなお話も聞けて大変面白かった記憶もあります。忍者の話についてはほとんどしていなかったのですが(笑)。最近になって忍者について調べるようになるまでは、敵を騙すダーティで合理的な面もあれば、妖術使いのような非合理的な面もあり、合理性と非合理性が混在した存在としか捉えておりませんでした。その意味では小説や漫画の中での忍者しか知りませんでしたね。

Ninjack編集忍

横山三輝先生とお話されたとかうらやましいです!先生はなぜ情報ネットワークの研究をはじめようと思われたのですか?

蒲生猛 学生時代は数理経済学を学んでおり、その後IT企業に入社しました。営業の仕事に25年ほど従事した後、マーケティング・企画・パートナーとの連携事業を担当しました。あるとき、並行して大学教授主催で日本経済分析をテーマに月1回研究発表をする「経済分析研究会」に参加することになり、そこで日本経済とコンピュータについて構造的に研究した論文なども発表していました。出席を重ねる中で自分のオリジナリティとして生涯研究できるテーマは何かを考えるようになり、IT企業で働いていたものですから、仕事の知見も活かしながら大学教授やシンクタンクの方とはまた違った角度から、私ならではの答えが出せるであろう情報ネットワークをテーマに研究を始めました。

Ninjack編集忍

会社員と研究者の二足のわらじだったんですね。現在も継続されているのですか?

蒲生猛 現在は退社して、IT専門学校の講師として情報ネットワークや経営についての知見を生徒たちに教えています。情報ネットワークが専門分野なので、忍者メディアのインタビューを受ける資格があるかわかりませんが大丈夫でしょうか?(笑)

Ninjack編集忍

情報ネットワークから忍者を見るというのがいいんです!でも、情報ネットワークというとコンピュータとかインターネットなどのイメージですが、なぜ過去のネットワークにまで遡ろうとお考えになられたのでしょうか?

蒲生猛 拙著『第4次情報革命と新しいネット社会』でも述べさせていただいたのですが、情報ネットワークの定義は2つあると考えています。

1つは「工学用語としてのネットワーク」。これがNinjackさんのおっしゃっているテレビ・ラジオの放送網やコンピュータ間をつなぐネットワークで、いわゆる「通信網」のことを指します。

もう1つが「社会システムにおけるネットワーク」です。社会システムの構成する要素として、人と人・組織と組織のつながりがあります。この個人や集団を全体で捉えた網状の組織をネットワーク社会として位置付けると、そのネットワーク社会というのは、人間が言葉を発したり、ジェスチャーでコミュニケーションをとる時代から発生することとなり、人類史におけるすべての社会は何らかの情報ネットワーク社会であると定義できることとなります。こう定義づけすることで過去から現代までの栄枯盛衰を調べることが現代の社会分析に必ず役立つであろうと考えたためです。

Ninjack編集忍

情報ネットワーク社会…どんな風に発達してきたのでしょうか?

蒲生猛 特に20世紀前半までの情報ネットワーク社会の課題は「距離の克服」だったと考えられます。例えば古代ペルシャやモンゴル(元)などでは、騎馬駅伝による伝達が主で、いかに早く情報を伝えることができるかが重要な課題だったわけです。人々はこの距離の課題を解決するために、試行錯誤して誰よりも早く情報を伝える方法を開発していき、武田信玄は狼煙によって2時間で情報を伝達するネットワーク網を作りました。情報伝達ツールとしての騎馬や飛脚、狼煙、そして電話やインターネットに至るまでのネットワーク史の変遷を見ることで、現代のネットワークの性質についての理解が深まるものと考えています。

Ninjack編集忍

なるほど!それで先生の「戦国時代の情報ネットワーク」が生まれたわけですね。ちなみにペンネームの「蒲生猛」の由来は何かあるのでしょうか?

蒲生猛 「蒲生」は織田信長に仕えた智将「蒲生氏郷」から、「猛」は猛々しくチャレンジする意味から「知の冒険者」としての生き方をしたいという願いを込めてつけました。また、「猛」は亡き父の名でもあります。忍者や情報戦士たちももう1つの顔や名前を持っていましたが、ペンネームというのは2つの顔を持つことを意味します。2つの顔を持つことによって自らを深めることができ、多様な広がりのある人間関係を創ることができる点はいいですね。こうしてNinjackさんにもお会いできたわけですから!

時代を乗り越えるヒントがぎっしりの戦国時代

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Ninjack編集忍

情報ネットワークの過去を遡っていく中で、数ある時代の中から戦国時代を題材に選んだ理由を教えてください!

蒲生猛 応仁の乱以前の時代は残っている文書も少なくてよくわかっていないことが多く、民衆が個性を持って登場するのは応仁の乱以降の戦国時代からなんですよ。その意味で知的水準の高い民衆が歴史の表舞台に日本史上はじめて登場した時代なんですね。戦争は多くありましたが、経済や政治に躍進的なイノベーションが展開されましたし、中心的ではなく様々な分権社会がネットワークでつながったダイナミックな変革の時代だったのです。現代のヒントになる部分が多くあることから戦国時代を題材に選びました。

Ninjack編集忍

今の世の中は戦国時代に似ているということでしょうか?

蒲生猛 似ている部分とそうでない部分があると思いますが、今の時代は江戸時代末期の閉塞の時代に似ていると考えています。高度経済成長期に成功した世代が上に居座っており、若い人たちがダイナミックに活躍できるはずなのになかなかできない。そんな閉塞感を突き破るヒントがこの戦国時代にあります。

Ninjack編集忍

戦国大名に学ぶビジネス術の本なんかは結構多いですよね。

蒲生猛 戦国時代は「大名・民衆・忍者が作った中心なき分権社会」と拙著の中で定義しておりますが、大名はその多くが成り上がり大名です。戦争に強いだけではなく、経済力を強くして領国支配ができなければ生き残れませんし、優れた戦国大名は情報収集と謀略戦を重視していました。その収集した情報に基づいて熟慮しつつも、俊敏な意思決定をなしてカリスマ支配に長けていたのが大名たちです。それだけでなく、従来の掟に囚われない組織のイノベーションを心がけていおり、現代のベンチャー企業の経営者にも似た面があります。北条早雲なんかの教えには「時間があれば書物を読んで勉強しなさい」などと残っており、優れた経営者やビジネスパーソンには共通してやっていることで極めて健全なことなんですよ。戦国大名の生き方は非常に参考にすべきことが多いです。

Ninjack編集忍

そんなエリートな大名との対比として、民衆はどうだったのでしょうか?弱い存在ですか?

蒲生猛 戦国時代の民衆は、7人の侍の映画に出てくるような虐げられた弱い農民ではありませんでした。農民の成年男子は全員武装していて、村落でも自分達で意思決定をしていました。民衆達はある種の独立した共和制の国家を成立させていたことがわかります。これは当時の戦国時代の民衆が現代の政治体制を先取りしていたということだと考えることもできます。そんな目で当時を見ても、戦国時代はダイナミックでおもしろい時代ですよね。

忍者の本質は「インテリジェンス」

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Ninjack編集忍

革命の時代を感じますね!その中で忍者はどんな位置付けだったのでしょうか?

蒲生猛 忍者はそんな強い民衆の中に位置付けられ、伊賀や甲賀では共和制の社会システムを築いていました。しかも戦国大名の配下で情報収集・伝達・謀略戦を担うなど、大名の情報網の一部を構成していただけでなく、自分たちでヨコの情報交換のネットワークを築いていたことが大変興味深いです。独自のネットワークを築いていたことは『正忍記』にも記述があります。江戸時代ではその地位は下がっていきましたが、戦国時代においての忍者は、大名に傭兵として雇われながらも忍者としての自律性があったと考えられます。

Ninjack編集忍

大名と民衆の双方のネットワークに入れただけでなく、独自のネットワークをも構築していたのが忍者というわけですね。

蒲生猛 さらに忍者の凄いところは、社会的分業の発達という意味で見ると情報収集・伝達・分析をする職業ブロックが誕生したのは、世界史的に見ても忍者が初めてだったのではないか、と考えられるところです。孫子の用間編にもあるとおり古代中国でも間諜(スパイ)はいたと思いますが、古代中国やヨーロッパにおいて情報収集や伝達・分析を行う集団がひとつの集落を作っていたり、国を作っていたというのは、私の知る限りでは聞いたことがありません。つまり当時の日本の戦国時代においては情報の価値が大変高く、その情報を専門として扱う集団が出てきたことは極めて先進的だったといえます。現代ではIT系企業などの情報の処理・加工・提供を業として扱う産業が発達していますが、高度経済成長期まではほとんどがモノとエネルギーの提供が主で、情報というのは従の存在でした。その意味では戦国時代に情報を収集・伝達する職業が自立していたというのは大変画期的なことではないかと私には思えるのです。

Ninjack編集忍

確かにそう考えると忍者って世界的にもかなり進んだ存在ですね!そんな忍者に必要なこととは一体なんだったのでしょうか?

蒲生猛 広範な知識を持って諸国の情勢を把握していたり、文字も書けることが大前提で、一番重要なことは収集した情報を的確に分析できる高度な知的能力を有していることだと思います。確か『戦国のコミュニケーション』という本に、山伏が使者として情報を伝えにいったのだが、前提の知識がないことからとんちんかんな対応しかとれなかったという事例が紹介されていました。山伏は道なき道を行くことはできるけれども、ただ手紙を渡すだけでは何か相手に聞かれたときに、情報を的確に分析して理解する能力がなければ使者としては使えないわけです。なので理想の忍者はひとことでいえば使命感の強いインテリジェンスじゃなければダメなんですよね。

Ninjack編集忍

機能としてゲリラ戦を得意とする忍者もいたと思いますが…

蒲生猛 例えば風魔小太郎を筆頭とする北条の風魔一族は、ゲリラ戦を得意として武田軍を追っ払うなどの活躍が残っています。ただ、北条のライバルであった武田が織田が徳川などから攻められている情報は、風魔一族からは北条に伝わっていないんですよ。鉢形城にいる北条氏邦から小田原へ伝えられましたが時はすでに遅く、風魔一族がもし武田領での情報収集をしていれば、北条にももっと早く攻め入るチャンスがあったかもしれません。その意味ではあくまで風魔一族はゲリラ戦法集団であり、インテリジェンスとして活用されていたわけではなかったのではないかと想像しています。結果的に北条は秀吉の小田原征伐で滅びましたが、忍者をインテリジェンスとして使えるかどうかが大名の生き残れる重要なポイントとなるでしょう。

Ninjack編集忍

忍者=インテリジェンス。そしてそれを使いこなせるかどうかが大名の腕の見せ所。『万川集海』などでも似たようなことが書いてあった気がします。しかし、忍者がそれだけ賢く高潔な人であると相手を騙すことへのためらいなどはなかったのでしょうか。

蒲生猛 「私はもう人を騙すのは嫌です」という文書が残っているわけではないですが、高潔の士であればあるほど、やっぱり相手を騙すことは嫌だったんじゃないでしょうかねぇ。表面上は優しく接しながらも、敵をを騙さねばならない後ろめたさ。戦国のネットワーク社会とその重大な要素を担う忍者を調べていくうちに、彼らがどんな想いで優秀なインテリジェンスとしての職務を全うしていったのか気になるようになりました。

その2はこちら

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