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【Nin-TV】手裏剣戦隊ニンニンジャーが教えてくれたこと

【Nin-TV】手裏剣戦隊ニンニンジャーが教えてくれたこと




ついに最終回を迎えた「手裏剣戦隊ニンニンジャー」

1年前の2月22日。

忍者の日が制定された日に放送されたのが「手裏剣戦隊ニンニンジャー」でした。

「忍びなれども忍ばない!」ってなんぞや!?

と疑問を抱き続けながら、毎週日曜日は早起きをしてテレビの前に座ること1年。

ついにこの破天荒なスーパー戦隊シリーズが最終回を迎えましたね。

最初に見たときはツッコミどころ満載で「まぁ忍者とか妖怪とかメカとか、子供の喜びそうなものごちゃまぜに入れておけばいいだろう」という製作陣の浅はかな考えでまとまりもなく続くんだろうなーと思っていたのですが、最終回まで見たところそれがとんでもない間違いだったと気付きました。

そんなこと思ってすみませんでした。。

このお子様向け特撮ドラマは

「忍者とはなんたるか」

を考えるにあたってある種忍者像を考察するのに非常に有用なテーマで描かれていたんです。

「忍びなれども忍ばなかった」登場人物たち

shinobazu

初回から一貫してのメインキャッチコピーであった「忍びなれども忍ばない!」。

これ、忍者の「忍んだり隠れたりする」イメージに対し、それをとにかく無視してインパクトを与えるためにあえてとった適当なコンセプトなのかと思っていました。

ですが、いざ作品全体を見終わってみるともっと深い意味があったことがわかったんです。

主人公の伊賀崎天晴(アカニンジャー)は、伝説のラストニンジャになるために妹や仲間、弟子とともに祖父の元で修行を積みます。

祖父に教わった忍術では敵を倒せないと知ると、自分独自のアイデアで仲間と協力して新しい忍術を生み出し、強敵を打ち破っていきました。

そして最後に知らされた真実は「ラストニンジャになるためにはラストニンジャである祖父を殺さなければならない」こと。

lastninja

しかし天晴は祖父を殺すことなく、最強の忍び「ニューラストニンジャ」を目指すことを誓い、これまでの忍びの掟を破る道を選んだのです。

本来であれば忍びの掟を守り、自己の目的を達成して「忍者って辛いよね」ってのがこれまでの忍者作品でした。

しかしニンニンジャーでは、「固定観念にとらわれず、自分の好きなように自分の道を歩め」と提言するテーマであり、それが忍びなれども忍ばないの本当の意味だったんです。

作品に込められた守破離の概念

本編でも出てきたフレーズですが、これってまさに日本の師弟関係を表す「守破離」の概念なんですね。

syuhari

守:物事の基本を知り、習ってやってみて
破:これを改良して、試行錯誤して
離:自分のモノなると師から離れ、自分の道を行く

ニンニンジャーの若き忍者たちもこのテーマに沿って成長し、最終回では自分たちの道を見つけていきました。

「忍者の掟には縛られず自分が思う忍者になる!」

忍びなれども忍ばない!

この守破離の概念が込められていたのがニンニンジャーの「忍びなれども忍ばない!」だったんですね。

NARUTOでも似たようなセリフがありました。

nindo

最近の忍者たちは掟など破ってこそなようですね。

ただのインパクト狙いのキャッチコピーかと思いきや、作品のストーリーにしっかりマッチさせて一年もの間、一貫して描かれていたテーマであったことには、さすがに脱帽しました。

よくできた作品だったと思います。

「忍者」ではなく「Ninja」

そしてこの守破離の概念は登場人物の成長を描くためでなく、忍者そのものの守破離も提言している内容だったのではないかと思います。

本編でもハリケンジャーやカクレンジャーなど過去の忍者系作品のヒーローたちが出てきましたが、その頃のキャッチコピーは以下のとおり従来の忍者をイメージさせるものでした。

・忍者戦隊カクレンジャー:人に隠れて悪を斬る!
・忍風戦隊ハリケンジャー:人も知らず 世も知らず 影となりて悪を討つ!

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非常に忍びの本質をついたキャッチコピーですよね。

過去作品に対しての「忍びなれども忍ばない!」とは、おそらく昔から固定された手裏剣を投げる、煙で消えるなどのオーソドックスなイメージの「忍者」から、外国人が見る「Ninja」への変遷を表したものだったのでしょう。

よく忍者Ninjaへは別物といいますが、今世の中に受け入れられているNinjaのイメージを取り入れたニンニンジャー。

10年後また忍者作品が描かれる頃にはどんな忍者像になっているのか、大変楽しみですね。

憧れがあればみんな忍者になれる

「忍びなれども忍ばない」は、その意味を紐解くと自分が忍者の一族であることが前提でのになりますよね。

この前提にあてはまらなかったキャラクターが2人描かれているのですが、この描写も個人的には好きでした。

スターニンジャー役のキンジと、最大のライバル・久右衛門です。

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この久右衛門、ラスボスの牙鬼幻月の息子であり、時空転換により過去から現代に送り込まれて父親を復活させる宿命を帯びていて、終わりの手裏剣を求めるためにラストニンジャに弟子入りします。

そこで兄弟弟子だったラスト忍者の息子から忍タリティを奪い、妖怪となりてもとの宿命を果たすためにラスト忍者の元を離れたのです。

最終回で明らかになりましたが、実は久右衛門はラストニンジャに憧れていて、牙鬼家の宿命さえなければ純粋にラストニンジャになりたかったようでした。

一方のスターニンジャーのキンジは、ラストニンジャに憧れて弟子入りをし、伊賀崎家の忍者一族ではないことに劣等感や不安を感じて一時期は刺客となりながらも、最終的には天晴たちに「家族」だと認められ、最後は「俺たちは忍者だ!」と叫びながらラスボスを倒します。

忍者は血筋がなければいけないのか?

という問いに対して、忍者に憧れて信じて努力すれば忍者になれる、つまりなりたいものになれるという意味合いもあったのだと思います。

「忍びなれども忍ばない!」だけではなく「忍びならずとも忍びになれる!」という裏メッセージが含められていたのではないでしょうか。

それ以外にも家族の大切さやチームワークの重要さなど込められたテーマは数知れず。

深い、深いよニンニンジャー!

現代の忍者界が大事にすべきこと

「忍びなれども忍ばない!」と「忍びならずとも忍者になれる」。

忍者界を見渡すと、忍者に関わる人々はみなこれらのテーマに悩んでいる気がしています。

「忍びなれども忍ばない」を「忍者像の守破離」だとすると、現代の忍者の固定イメージ自体がそもそも「破」と「離」のみで構成されています。

忍者もNinjaも奇想天外なイメージばかりが先行し、本来の忍者とのギャップがありまくりです。

というかそもそも本来の忍者というのもあまり明らかになっておりません。

だいたい忍者好きな人であつまると「忍者の定義って何?」で議論になりますがいまだに決着しないんですよね。

守→破→離のプロセスを成り立たせるためには「」にもっと力を注ぐべきであり、「破・離」をする前にそれぞれが学ぶべきことであると思っています。

その意味では三重大学の伊賀連携フィールド甲賀流忍者調査団などは「守」を徹底したとても素晴らしい試みで、本当に価値があることです。

そしてその「守」をわかりやすいように伝えていく存在も必要で、Ninjackはまさにその立ち位置になりたいと思っています。

それができれば「忍びならずとも忍者になれる」が実現できるはず。

そうすることによって忍者界が一層繁栄していくと思うのです。

ニンニンジャーを見てなぜかそんなことを考えてしまいました(笑)

1年間ありがとう!次はVシネで

vcine

忍者にとっての大事なことをたくさん教えてくれたニンニンジャー。

1年間どうもありがとう!

しかしどうやらもうVシネが出ることが決定しているようです。

次はなんと天晴のお母さん生まれ変わった久右衛門も登場するとのこと!(ドラゴンボールのウーブかw)

発売は6月22日のようですので、今のうちにお小遣いためておきましょう!

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