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甲賀の忍びについて江戸東京博物館でお勉強会!

甲賀の忍びについて江戸東京博物館でお勉強会!




program

近江戦国史シンポジウムに行ったら忍者がいた

主に江戸時代の歴史資料展示や全体的な歴史関連の展示会を行っている東京都・両国の江戸東京博物館

ここでは江戸の資料閲覧なんかもできるので、江戸時代における忍者関連情報収集のためにたまに行くのですが、先日行ってみたらなんか怪しいヤツがいました。

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Ninjack編集忍

すいません、忍者の格好なんかして何やってるんですか?恥ずかしくないのですか?

と聞いてみたところ、どうやら

連続シンポジウム「近代戦国史〜乱世から統一へ〜」

なるセミナーが開催されているようです!

しかもそのプログラムを見てみると・・・

第1回:戦国の近江 〜城・忍者・六角氏〜

などと書いているではないですか!

これはJackするしかないということで行ってきましたよ、近江戦国史シンポジウムへ!

果たして忍者について面白いことは聞けるのでしょうか?

江戸に討って出る!とすごい意気込み

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シンポジウム開催のご挨拶に、滋賀県教育委員会の方がご挨拶されておりました。

今、戦国時代が人気だけれども今の滋賀県にあたる近江琵琶湖だけでなく大変歴史的な魅力があるのですと。

それをもっと伝えて滋賀県に訪れてもらいたいので、今回は東京に討って出ましたと。

このまま東京を攻めてきそうな勢いでしたが、とても熱い思いで今回のシンポジウムを開催されたことが伺えます。

全部で2回開催される今回のシンポジウム。

大きく分けて2回、近江を信長が統治する前と後で、1回・2回と分かれての開催だそうです。

信長は天下を武で布いたわけですが、近江では安土城築城に代表される近代的な文化をを作り上げました。

信長に作られた近代的な近江になる前は果たしてどうだったのか・・・というのが今回の第1回でございます。

甲賀忍者について

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甲賀忍者について語るのは、滋賀県教育委員会事務局文化財保護課の畑中英二さん。

どうしても戦国の甲賀について語るときに忍者を外すわけにはいかないけれど、忍者そのものが学術的に研究が足りないので非常に難易度が高いと前置きをおいた上で、今回は以下のようなアプローチを試みたようです。

 現代に伝わる忍者の虚構イメージが作られた原点はどこか
 虚構の忍者像が作られる前の甲賀者は何をしていたのか

みんながイメージする甲賀忍者の原点は?
(1) 近代において人気のある創作としての忍者
・白土三平のサスケ。甲賀流の忍者という設定だった。
・仮面の赤影。めちゃめちゃ悪そうな適役が甲賀のものが出ている。
・落第忍者(忍たま)乱太郎。作者の尼子騒兵衛さんは忍者を大変勉強されている。
・隠密剣士という映画が海外に出て火つけブームになった。
・その後ショーコスギが海外忍者ブームにさらに拍車をかける。
・ニンジャタートルズなどのニンジャヒーローが生まれた。
・そして現在の忍者人気を支えていえるのはNARUTO。
→これらの創作された忍者は超人的な描かれ方をしているが、その原点はなんだろうか。

(2)  昭和以前の忍者創作の原点
・江戸前期に書かれた御伽婢子(おとぎぼうこ)忍びの術飛び加藤の話が出てくる。
・御伽婢子のベースは中国の小説。これをベースにして甲陽軍鑑の話も交えながらの最初の忍者物語だった。
17世紀半ばに石川五右衛門の千鳥の香炉の話に継承されていく。
・ガマの妖術を使う児雷也など、江戸時代に成立した忍者のイメージが今の作品にも影響している。
・立川文庫の講談「真田十勇士」の後、昭和に甲賀忍法帖や真田太平記、司馬遼太郎で忍者ブーム再来。

甲賀忍者はは忍者は何していたのか
(1) 江戸時代の甲賀者
・江戸時代には甲賀百人組が江戸幕府に鉄砲隊として召し抱えられた。
・三の門に与力が10人。旗本が1人。青山の甲賀町に住んでいた。
・この甲賀者たちが召し抱えられた理由は由緒書によると伏見城籠城戦に参加した功績。
・尾張藩に甲賀の木村奥之助を中心として五人の甲賀者が雇われている。表向きは鉄砲隊だがその実態は甲賀在宅の非常勤忍者。
・彼らは大和郡山藩がクーデーター起こすかもしれないときに偵察の任務を承っていた。
・日葡辞書の中にSHINOBIというワードが「間諜」の意味として書かれていた。

(2) 忍者の半手としての特殊性
・戦国時代に二度も起こった幕府による六角征伐の際、二度とも六角氏は甲賀に逃げ込んだ。
・甲賀衆が幕府に対し「甲賀には攻め入らないでね」と嘆願した記録が残っている。幕府はそれを聞いてちょっと躊躇したらしい。(結局は攻めたけど)
・その後、六角氏は伊勢に逃げたという噂が出て、「甲賀は関係ない」という起請文を書いたら幕府軍が撤退した。
・六角氏が甲賀に必ず逃げ込んだり、なぜか幕府が甲賀の嘆願を聞こうとする姿勢が不思議。
・甲賀は同じ名字の一族で
・甲賀のような国境の国は半手(隣接する二つの国に年貢を納めて中立を図ること)だったのと、幕府も周りの国もなかなか手を出しづらかったものと考えられる。

甲賀の忍者については目新しいトピックはありませんでしたが、六角氏が責められて二度も逃げ込む甲賀は興味深いですね。

佐々木六角史と戦国の近江

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戦国武将としてはマイナーな六角氏の研究をされている東京大学史料編纂所助教授の村井祐樹さん。

六角氏はなにかあるとすぐ甲賀に逃げたからあまり興味の対象にならないけれど、紐解いて行くとおもろいようです。

実は当時は将軍に次ぐ実質No.2の身分だったようです。

このセッションではあまり忍者は関係ないので、割愛します!

パネルディスカッションで深掘りする甲賀の地

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休憩ののち、パネルディスカッションが開かれました。

江戸東京博物館の斉藤慎一さんも交えての「戦国の近江」。

近江の地を収めていた六角氏、乱立された城郭、そしてその地に済んだ民衆たちの視点から近江を深掘りします。

忍者情報サイトですので、甲賀に関連する部分だけまとめてみますと・・・

・六角氏だけでなく、細川家や将軍家も甲賀には逃げ込んでいる逃げ込めば逃げおおせる場所だったのだろう。
・戦国時代の甲賀については、実は南北朝時代から信長が近江を治めるまでの間の資料がないのが現状。ただし、六角氏の全盛期時代に甲賀を自分の領国にしようとした動きはない。

・六角氏は弱小のイメージはあるが、有事には2〜3万の大軍を動かせていたのでそれなりのイニシアチブは取れていたはず。となると、そもそも甲賀を領地にしようという発想がなかったのかもしれない。

忍者か山賊として知られる山中氏について、家臣としての資料がないにもかかわらず、六角氏がピンチになると助けてくれたという礼状が多数残っている。

・山中氏のような甲賀者の優れた戦闘力を持つ者たちは、おそらく六角氏の家中ではなく同盟や客分のような存在だったのであろう。そんなゆるい関係で100年〜200年の間、六角氏と繋がっていたのが領地にしない理由だったと思われる。

・同盟関係により甲賀はいざという時には逃げられる場所。こんな場所があるだけで六角氏にとっては百人力だったはず。

・関東にも歴史的には多く見られるが、国境付近というのは半手の村が生まれやすい。半手となれば中立を保ちながら情報が入手できる。

このような地理的環境から甲賀の忍びは生まれたのかもしれない。 

こうして地理的環境や大名との関係から甲賀の地を紐解いてみると、やはり甲賀が忍びとしての文化や技術が発達していったのはうなずけますね!

なんだかまた甲賀の地に行きたくなってきてしまいました。

村井さんは最後に「滋賀県を楽しむにはレンタカーがないとだめだ!」と強くおっしゃってたので、行くときにはレンタカーを借りようと思います(笑)

関連リンク

連続シンポジウム「近江戦国史~乱世から統一へ」プレスリリース

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